top of page

1.主からの二番目の派遣先である東京の国際福音教会での懐かしい思い出(1)

私たちが、小樽の教会から離れる時に、客員として礼拝に出席されていたN姉から、「今後、何かと入用だと思います。遺産相続の一部ですが」と、多額の献金をしてくださったのです。


この時、由起子さんは、幼い長男の臨(3歳)と、お腹に二男の光歩がいた中での引っ越しであったので、大変な時でした。


まだ、次の引っ越し先が決まっていないので、取り敢えず、由起子さんの青森の実家に荷物を置かせていただくことにしたのです。ご両親は、快く引き受けて下さり、感謝なことでした。


由起子さんと臨は、由起子さんの青森の実家に、二男の光歩の出産までお世話をしていただくことにしました。そして、主によって派遣される国際福音の中での教会の導きと、住居の確保のために、私だけ単身赴任で、東京に行くことにしたのです。


東京に着くと、B師から、府中の教会での日曜日の礼拝説教奉仕の依頼をすでに受けていましたので、予め準備していた説教をさせていただいたのです。


すると、B師は、昼食後、「これから、新宿の教会に一緒に行きましょう。そして、今、府中で語った説教とは別の説教、それも伝道説教を、ハングル語の通訳者を立てますので、20分ほどの説教をしてください」と、突然に頼まれたのです。


今まで、このように、突然に頼まれて説教をしたことはありませんでしたので、面食らってしまったのです。


東京に来るなり、いきなり、説教において、聖霊様に依存せざるを得ない状況に追い込まれたのです。地下鉄で移動の間中、聖霊様にメッセージを、ひたすら祈り求める以外になす術はありませんでした。


自分は無力、無理、無能、絶望。しかし、聖霊様は有力、可能、全能、希望、その信仰に立つ以外にはなかったのです。


そして、新宿の教会には、日本人もいましたが、韓国人もいて、若い韓国人の留学生が多くいました。そして、聖霊様に導かれて、韓国人のL姉の通訳者付きで、伝道説教をさせていただいたのです。


集会が終わると、一人の韓国人のクリスチャンの留学生のE姉が、私に近づいて来られたのです。そして、このように、私に分かち合ってくださったのです。


「私は、人生に失望して、自殺をしようと考えていました。同じ韓国人のクリスチャンの留学生の友人たちに、そのことを打ち明けて祈っていただいていたのです。


なぜ、先生は、私の現在の状態を知っているのだろう。初めて会う先生なのに。そして、私は、自分のことを何も話していないのに。どうして、この先生は、私のことを知っているのだろうと、不思議に思いながらメッセージを聞いていました」と証しされたのです。


「今日、神様が、先生を通して語ってくださったメッセージを通して、人生に生きる希望をいただいたのです。有難うございました」と、感謝をされたのです。


それこそ、私ではなく、聖霊様のみわざでありました。


東京に来るなり、自分の無力さを認め、聖霊様の全知全能の恵みを、最初に体験させていただいたのです。


その後、そのクリスチャンの留学生のE姉は、文書伝道の働きに献身をされたのです。


ルカ4:18〜19節「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」


ゼカリヤ4:6節「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」


ハレルヤ!

 
 
 

最新記事

すべて表示
40.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(40)

前回からの続き つまり、電話をくださった姉妹は、ご高齢の牧師夫人の娘さんであったのです。そういう経緯があって、また、その教会の牧師のお父様は、すでに召されておられて、 当時、無牧(常駐牧師が不在)ということもあり、「一年間の間、一カ月に一回、礼拝説教の奉仕に来ていただけない...

 
 
 

コメント


©2022 by 船堀グレースチャペル。Wix.com で作成されました。

bottom of page