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54.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(54)

今回も、N葬儀社に関わることですが、ある教会のご遺族のお父様の葬儀での火葬と収骨に携わった時のことです。


それは、N葬儀社の現場担当者の方が、その葬儀中に、別の教会での葬儀が発生して、その葬儀の担当をしなければならない状況になりましたので、私が代わって、火葬と収骨に携わる必要が生じたのです。


ご遺族の娘さんから、「火葬前に、もう一度、棺の蓋を開けていただいて、お父さんとの最後のお別れは出来ますか」と、私に聞かれたので、それまでの現場担当者に確認しますと、「可能です」と、言われましたので、娘さんに、「出来ます」と、お答えしたのです。


そして、火葬のため、炉の前に来た時、火夫の方に、「お顔が見える部分の棺の蓋を開けていただいて、ご遺族との最後のお別れの時を持たせてください」と、お願いしましたら、


「出来ません」と、言われ、お父様のお顔を見て、最後のお別れが出来ないまま、棺が炉の中に入れられたのです。


そのことで、ご遺族の娘さんからの当然の激しいご立腹がありまして、また、他のご遺族の方から、「社長を呼んで来い」と、激しいお怒りを受けたのです。それは、私に対する当然のお怒りでした。


また、このような時というのは、他のことも上手くいかない出来事が重なることがよくあるものです。因りによって、携帯の調子が悪くなって、社長との連絡が取れない状態に陥ったのです。


ご遺族の激怒の中、社長にも連絡が取れないという狭間に立たされたままで、何とか収骨を終えたのです。そして、「後日、ご自宅にお伺いします」ということをお伝えしたのです。


「あの時、私が、火夫の方に強く言って、ご遺族の方々に、最後のお別れをさせて上げるべきであったな」と思っても、覆水盆に返らずです。


日を改めて、社長と、現場担当者と私との三人で、ご自宅にお詫びに出かけたのです。私たちが、ソファに座った時に、ご主人が、私を指指して、「あいつが悪いのだ。あいつのせいで、葬儀が台無しになったのだ。葬儀費用は、一切支払わない」と、激怒されたのです。


私は、ご主人が激怒されて言われたことが、全くその通りなので、何一つ言い返すことばもなく、ただ、「申し訳けありませんでした」ということば以外、出て来なかったのです。


その後、その教会の牧師にも、お詫びに出かけたのです。


私は、この時、そのご遺族に対して、一生涯、赦されない罪を犯したと思わされたのです。それだけでなく、N葬儀社に対しても、葬儀費用全額を損失させる羽目に陥らせたのです。


それだけでなく、その教会から、引き続き、将来的に、葬儀の依頼を受けることで得られるであろう利益の損失をも与えたのです。


そして、その教会の牧師にも、そのご遺族が、礼拝に出席されておられる手前、N葬儀社に葬儀の依頼を出来なくさせたのです。


しかし、これら一連の出来事は、神の御手の外で起こった出来事ではなく、神の御手の赦しの中に起こされた出来事であると、信仰によって受け留めさせていただいているのです。


マタイ12:31〜32節「ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。


また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。」とのみことばの「どんな罪」の中に、


私の対神の罪も含まれていて、本来なら赦されるべきものではないのに、イエス様が、私の罪を負ってくださって、血を流されたという福音で、さばかれずに、ただ、恵みで赦されているのです。


そして、更に、この葬儀に関わる対人の赦され得ない罪も含まれていて、同じように、イエス様の十字架で負ってくださって、血を流されたという福音で、さばかれずに、赦されているのです。


更に、この聖書のみことばから、神から見た、赦されない罪とは、御霊に対する冒瀆、聖霊に逆らうことを言う者です。それは、罪からの救い主として明らかに啓示されたイエス様を信じ受け入れないことだけです。


この神様の聖書の真理のことばによって、私は、神様の憐れみによって赦されて、立たせられているのです。


あなたも、今までの人生において、取り返しのつかない罪、過ちを犯し、その人に、お詫びをしても、今も怒りと憎しみの中にあり、赦されない中にあるようであれば、


唯一の逃れの場所、避け所である、イエス様の十字架に、すでに負っていただいていた(る)ことで安んじましょう。


ハレルヤ!

 
 
 

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