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10.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(10)

前回からの続き


エペソ4:15節「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」とありますように、


その人への愛だけで、その人に真理を語ることをしないこと、また、同時に、その人に真理を語るだけで、その人への愛のないこと、この両極端ではなく、主にあって、その人への愛をもって真理を語ることを聖書は教えているのです。


その目的は、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するためであると、聖書は教えているのです。


そして、ある程度の信頼関係がある信徒の方々は対して、そのことを実践し始めると、私が思っていた通り、予測して通りのことが次々と起こったのです。


それは、船堀の教会の信徒の人たちの中から、「若木先生は、愛がない」、「若木先生は、私をさばいた」、「若木先生は、私を非難した」、「若木先生は、私を傷つけた」などと言われ始めるようになったのです。


でも、自分の潜在意識にある心の内面のメカニズムである、「神からの栄誉、賞賛よりも、人からの栄誉、賞賛を求めている」ということを、イエス様によって知らされ、気づかされたことと、


イエス様の励ましによって、そのミニストリー(奉仕)を継続していく内に、徐々に、「若木先生は、私たちを建て上げるために、私たちを生かすために、私たちを成長させるために、聖書のみことばに基づいて、


主にあって、あえて、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを言っているのよ」と、神様からの私を通して、すでに、そのような取り扱いを受けられて、


主にあって、私のことを理解されるようになった信徒の方々からのサポートを受けるように導かれていったのです。


このようなミニストリーをする前に、「私は、この人に対して、否定的に引き落とそうとして関わろうとしているのだろうか。それとも、肯定的に建て上げようとして関わろうとしているのだろうか」と、主にある自己吟味の時を持つように心がけています。


さらに、そのミニストリーをする時に、その人の行いによらない、主にある、その人の存在価値を認め尊び、十分な説明を相手にしているつもりではありますが、その人への理解において、まだまだ、不十分であることも体験的に味わっているのです。


また、ミニストリーの最中に、特に、霊的理解力の乏しい人に対して、時には、イラッとすることもあります。私は、未完成の工事中の牧師です。


私がその人に対して、主にあって、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを語ったことに関して、理解と受容を示してくださる場合と、そうでない場合とが、現実的にはありますが、それでも、試行錯誤しながらも、


人からの栄誉、賞賛ではなく、神からの栄誉、賞賛を求めていく者でありたいと願っています。現在では、このようなミニストリーを、船堀の教会以外の方々とも、対面であったり、ラインであったりなどして、関わりを持つように、主にあって導かれています。


現在も、主にあって、現場で体験的に、場数を踏みながら、訓練されているそのプロセスの歩みの中を通らされているのです。


そして、主が私を通して、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを伝えている方々の中から、聖霊様の恵みによって、霊の耳と目が開かれて、


その人自身が、潜在意識にある心の内面のメカニズムに、気づきと理解と悟りとが与えられたことによって、徐々にではありますが、変化と成長の実を見せられて、主は、私を励ましてくださっておられるのです。


そして、このミニストリーの働きを継続して行く内に、私は、主によって、このミニストリーの働きに関して、あることに気づかされたのです。


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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