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30.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(30)

前回からの続き


次に、H師ご夫妻の個人預言の後半部分の「それを嫌なこととして、嘆いてはいけません。それは良いことで、祝福だからです。しばらくの期間の後、そこから、救い出される時が来ます。」と、


R牧師の「あなたは、癒しの働きをするようになります。ですから、癒しの働きをするようにしなさい。」に関わる恵みを分かち合いたいと思います。


これから分かち合うことは、私のこれまでにおける、神のお取り扱いと、備えられていた様々な神の恵みを体験させていただいて、癒しと回復に導かれた後の出来事のことです。


船堀の教会に関わることですが、以前に、ある方から、私に対して、怒りのファックスが届いたことがありました。その時は、どのように対処すれば良いのかわからずにいましたので、直接、顔面にパンチをまともにくらい、ノックアウトされたような感覚でした。


ところが、今までにおける神のお取り扱いや、十字架体験や、父なる神の愛の体験や、チェンジング・ライフキャンプや、エリヤハウスの学ぶやミニストリーなどを受けて来ましたので、


相手が顔面に打ってきたパンチを、まともにくらうようなことをせずに、フットワークを使って、ヒョイと相手のパンチをかわすような対処の仕方を覚えるようになったのです。


人が、感情的に爆発するような過剰反応をする時には、過去におけるその人自身の生育歴における両親や、家族や、他の人との関わりや、また、ある何かの出来事において、


その人から受けた被害者としての心の傷や、その人に対して犯した加害者としての罪などが依然として、処理されずに残っているからです。


それらの未解決、未処理の問題が、それ以後の人間関係においても影響を及ぼすのです。過去において過剰反応をした人と似たような人や、似たような出来事に遭うと、過剰に反応してしまうのです。


それは、自分でも認知できない潜在意識に隠されているからです。そういうことを学んできましたので、「その人の内にある未解決、未処理のものは何だろうか」と、聖霊様と聖書のみことばに聞く姿勢が、私の霊(心)の内に新しく造られたのです。


それで、私が直接、その方に関わる前に、その方も含め、他の教会員にも「エリヤハウス」の学びを受けることをお勧めしたのです。


そのことによって、その方自身が、聖霊様によって、自分の潜在意識にある真の問題に気づかされたのです。そして、そのことを心をオープンにされて、正直に、私や他の方々にも分かち合ってくださったのです。


「私が子どもの時、夕方頃まで家の近くで遊んでいると、まだ、遊びたかったのですが、母に、食事のお手伝いをしなさいと言われたのです。


男の子は、そのまま遊んでいることが許されていたのですが、私は女の子ということで、お手伝いをさせられて、遊ぶことが途中で止めさせられたので、その時に、女は損だ。私は損をしない男になりたかったという内なる誓いが解除されていなかったので、


主人を初め、男性に対して、張り合う反発的な態度を取っているのだなと気づかされたのです。」と。


その方が、そのことに気づきが与えられて、内なる誓いをイエス様の十字架で解除して以来、私に対する怒りのファックスは、現在に至るまで届くことがないようになっただけでなく、私を責めたり、さばいたりするようなことはなくなり、


私の足らなさや弱さに気づかされたなら、私のために執り成しのお祈りをされるように、聖霊様によって変えられて来たのです。


ルカ4:18〜19節「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」


あなたが、今現在における対人関係や出来事において、感情的に爆発するような過剰反応を表す人や出来事は、どのような類の人、出来事でしょうか。


過去におけるあなた自身の生育歴における両親や、家族や、他の人との関わりや、また、ある何かの出来事などにおいて、関わりを持った人や、体験した出来事に似ていないでしょうか。


その人から受けた被害者としての心の傷や、その人に対して犯した加害者としての罪などが依然として、処理されずに残っているものはないでしょうか。聖霊様に、潜在意識を探っていただくこと、そして、イエス様の十字架で処理していただくことをお勧めします。


詩篇139:23〜24節「神よ 私を探り 私の心を知ってください。私を調べ 私の思い煩いを知ってください。私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て 私をとこしえの道に導いてください。」


マタイ8:17節「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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