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13.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(13)

前回からの続き


以前に、人は、これほどまでに変わるのか、いや、神によって変えられるものなのかと証しさせていただいた、愛知県にある私の母教会と同じで、現在、高松で牧会しておられるO師のことについても触れさせていただいたことがあります。


私の目から見て、臨も、その類いの一人なのです。


IIコリント3:18節「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」


神様が、どのようなプロセスを通して、現在のような臨に変革し続けてくださったのかを分かち合いたいと思います。


私の息子の長男の臨は、私たちが小樽の教会で牧会していた時に、1987年6月3日に、由起子さんの実家の青森で生まれ、小樽で育ちました。


その後、主から派遣されて行った教会の関係で、北海道小樽市から、神奈川県横浜市、東京都多摩市、東京都国立市、そして、現在の東京都江戸川区と引越しを転々としました。


そのような中で、船堀の教会での牧会の時でありましたが、臨は、小五の11歳の時に、米国人のR師から「あなたはペテロです。あなたは、説教を語るようになります」と、個人的な預言を受けたのです。


それまで、私たちは、そのような個人的な預言を受けたことはありませんでした。また、臨は、まだ小学生でもあったことから、その預言をどのように受け留めれば良いのか、その当時は、私たちは、全くわからない状態であったのです。


それと同時に、私は、個人的な預言に関しては、警戒心を抱いていたのです。というのは、以前に、私の知人の牧師が牧会する教会の信徒の一人が、超教派の集会に出席されて、


「あなたは、イスラエルに行って、福音を伝えなさい」という個人的な預言を受けたということで、


その信徒は、それが、神様から出たもので、自分に語られた個人的な預言だと疑うことなく信じ込んで、それまで、断食を経験したこともなく、


また、断食をする上での予備知識も知らないで、無謀にも断食をしている最中に、いのちを落とすことになったのです。


直接、私の知人の牧師に責任があったわけではありませんでしたが、そのようなことが起こったことが原因で、知人の牧師に監督責任が問われ、その教会から解任に追い込まれたということを聞いて知っていたからです。


その当時もそうでしたが、今現在も変わらずに、私は個人的には、個人的な預言に関しては、警戒心を抱いて、注意深く、霊的識別、霊的洞察をして、吟味して、取り扱うべきであると思っています。


しかし、それと同時に、創世記37:9〜11節に「再びヨセフは別の夢を見て、それを兄たちに話した。


彼は、「また夢を見ました。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいました」と言った。ヨセフが父や兄たちに話すと、父は彼を叱って言った。


「いったい何なのだ、おまえの見た夢は。私や、おまえの母さん、兄たちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むというのか。」


兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心にとどめていた。」とあるように、父ヤコブのように、その夢(預言)を心にとどめておくこと、その預言と、その内容を肯定も否定もせずに、神にアンテナを立てて、見守り続ける必要があると思っています。


というのは、エレミヤ28:9節に、「平安を預言する預言者については、その預言のことばが成就して初めて、本当に主が遣わされた預言者だ、と知られるのだ。」とありますように、


神様から出た預言者か、また、神様からの預言かどうかの見極めは、預言者のことばが成就するかどうかが判断基準のために、それが、どのような結果に至るのか、どのような結末を迎えるのかを見守るための、プロセスの期間が必要とされるからです。


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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