前回からの続き
黙示録3:20節の「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
というこのみことばに基づいて、神の御前に悔い改めの祈り、神に立ち返る祈り、そして、心の王座にイエス様を迎える祈りを、聖霊様が導いてくださったのです。
臨から、「これからどうしたらいい」と、聞かれたので、「早速、次の日曜日から、近くの教会の礼拝に出席するように」と、アドバイスをしたのです。
更に、大学卒業後の進路の導きに関しても、急を要していたのです。臨は、まだ、この時点では、神のみこころを尋ね求めることを知らないでいたので、個人的にすでに、公務員(警察官)の就職試験に願書を送っていたのです。
そして、一次試験の筆記試験に臨み、合格しましたが、二次試験の面接があったのです。私は、臨に、面接の前に、ヘブル12:2節「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい」このみことばを持って臨むように勧めたのです。
そして、臨は、面接官とのやり取りで、自分がクリスチャンであることを表明する必要があったことから、
面接官から、「もしあなたの信じる神が右と命じ、警察官の上司が左と命じたらあなたはどうしますか」というような質問を投げかけられた時に、臨は、「私は神に従います」と、返答したのです。
その結果、公務員(警察官)の道は閉ざされたので、神様による別のみこころの道を求めるように導かれたのです。
大学卒業前に、北九州市の私の実家と、東京のある教会と、新潟のある教会に、私と一緒に同行してもらい、臨に、今までの一連の神様のお取り扱いと、恵みのみわざの証しをしてもらったのですが、不思議なことが起こったのです。
北九州市の私の実家では、私の姉たちが、臨の証しを驚いた様子で、真剣に聞いたり、臨に証しメッセージをしてもらうために、私と一緒に東京のある教会に行った時には、
私はその教会に、事前に、臨の証しメッセージの連絡も案内もしていないのに、私がその教会での礼拝説教奉仕をしていた時には、それまで出席されていなかった方々が、10人前後出席していたり、
新潟の教会での時には、午後の時間、他教会から来られていた一人の姉妹が、「今日、臨さんの証しを通して、信仰は暗闇の中で光り輝くということばに励まされました」と、分かち合ってくださり、感謝してくださったのです。
そのような出来事があったことから、臨に対する神のみこころは、牧師、伝道師などの働き人への道であるかも知れないと思い、韓国での弟子訓練セミナーにも一緒に参加してもらい、
今までにおける神の導きのプロセスを、お互いに分かち合うことで、大学卒業後、JTJの神学校の牧師志願科での学びの道に導かれて行ったのです。
そして、JTJの神学校での学びをしつつ、毎週の水曜日のセルの集会に出席し、小学校のキッズクラブで、障害のある子どもたちを対象のアルバイトを1年間した後、他教会のM姉の情報提供によって、キリスト教系の介護施設の働きの道が導かれたのです。
その介護施設に6年間勤務しましたが、人事異動のことや、日曜礼拝が守れないことで退職し、半年間、タクシードライバーの仕事をして後に、由起子さんが勤めていた一般の介護施設に導かれたのです。
また、臨は、神学校卒業後、船堀の教会で、当初、月一回の礼拝説教をしていましたが、船堀の一人の信徒の方から、「臨さんを、説教奉仕から降ろしてください」と、私に告げられたのです。
その当時、何と、臨は、日々のデボーション(神様との交わり)や、聖書通読をしておらず、そのような状態で、礼拝説教をしていたのです。
だから、神様は、その信徒の一人の方を通して、説教奉仕から降ろされたのだと、臨は真摯に受け留め、同じ過ちをしないようにと、そのことがあったことから、日々のデボーションと聖書通読が、習慣化される神様の恵みの体験へと導かれていったのです。
次回に続く
ハレルヤ!
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