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17.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(17)

前回からの続き


その当時、何と、臨は、日々のデボーションや、聖書通読をしておらず、そのような状態で、臨は礼拝メッセージをしていたのです。


だから、神様は、その信徒の一人を通して、説教奉仕から降ろされたのだと、臨は真摯に受け留め、同じ過ちをしないようにと、そのことがあったことから、日々のデボーションと聖書通読が、習慣化される神様の恵みの体験へと導かれていったのです。


そして、そのような神様の一連のお取り扱いのプロセスを通して、第一礼拝での説教奉仕の道が新たに導かれ、


以前から私と関わりのある方々との交わりと、牧会カウンセリングの奉仕のために、私と一緒に同行して、新幹線を利用して、新潟に一泊して出かけたこともありました。


そして、2022年の6月から、毎月一回、千葉にある教会に、私と一緒に出かけ、礼拝メッセージの奉仕と、午後の恵みの分かち合いと、牧会カウンセリングの奉仕をしてもらっています。早いもので、後3ヶ月弱で、4年目を迎えるところです。


その他、個人的に、以前に、デボーションの配信や、ラジオメッセージや、OCCビルでの説教奉仕をしたこともありました。


現在は、傾聴の働き、刑務所に入所されている方との文通、クリスチャン芸人との関わり、以前に通っていた教会の信徒との交わり、


また、未信者との交わりにおいては、学生時代の友人、以前の職場の同僚など、神から与えられたタラント(賜物)を用いて、積極的に奉仕をしています。


臨が小五の11歳の時に、神様が、米国人のR師を通して与えられた「あなたはペテロです。あなたは、説教を語るようになります」という個人的な預言が、


神様による様々なお取り扱いのプロセスを通されながら、あれから26年経過した現在37歳となった臨に成就しているのです。


イザヤ55:8〜11節「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。ー主のことばー天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。


雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。


それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」


エレミヤ29:11節「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っているー主のことばー。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」


ローマ8:28〜30節「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。


神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。


神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。」


伝道者の書3:11節「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」


次回で、臨に関しては、最終回となります。


ハレルヤ!

 
 
 

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