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2.主からの二番目の派遣先である東京の国際福音教会での懐かしい思い出(2)

次に、主によって派遣されたのは、B師を主任牧師とする国際福音教会での私と同じ30代の若い牧師たちによるチーム牧会の群れでありました。当時、府中、新宿、船堀、横浜の4カ所で集会を持っていました。


聖霊様によって、B師を通して、横浜の教会を牧会するように導かれたのです。横浜の教会は、信徒数6名で、一人の信徒宅で、日曜日の礼拝をしていました。


やがて、横浜の住居が導かれ、また、二男の光歩も誕生したことで、青森から、由起子さんと臨(3歳)と、光歩(0歳)が横浜に来て、家族で一緒に住むようになったのです。


小樽の教会では、生活費を稼ぐために働く必要は全くなく、経済的に十分に満たされていましたので、フルタイムで牧会の働きが出来ましたが、横浜の教会では、生活費を稼ぐために働く必要がありました。


同じ群れで働くある一人の牧師のアルバイト先の職場を紹介されて、私も同じ職場で靴の修理をするアルバイトをするようになりました。時給550円からのスタートで、800円になるまで働いていました。


由起子さんも、二人の子どもを保育園に預けて働くつもりでいましたが、0歳児を預かる保育園はありませんでしたので、外に出て働くことは出来ませんでした。


しかし、聖霊様の恵みにより、由起子さんは、国際福音教会にあるS出版の働きに仕えるように、自宅で仕事をするように導かれたのです。


横浜の教会からのサポートと、私のアルバイト料と、由起子さんのアルバイト料で生活をしなければなりませんでした。2Kの家賃が、57,000円でありました。


当初は、小樽を離れる時に、N姉から遺産相続の一部である多額の献金をいただいていたので助けられましたが、とうとう貯金もなくなり、ある月に必要な経費を賄えなくなったのです。


横浜からのサポートと、私のアルバイト料と、由起子さんのアルバイト料を含めても賄えない必要な経費であったのです。贅沢な生活はしていませんでしたし、無論出来ませんでした。生魚が高くて買えず、魚の缶詰を買って、よく食べていた記憶があります。


新聞代金すら払えなくなった状態に陥り、みじめで恥ずかしい事実の話しですが、もうそろそろ、新聞の集金の人が来られる頃ではないかと思い、部屋の電灯を消して、居留守をしたことがありました。


その時、由起子さんと一緒に、主だけに頼って祈ること以外には、他に救いの道はありませんでした。すると、しばらくしてから一通の封筒が届いたのです。


小樽の教会からでした。そこには、このように書かれていました。「二番目のお子さんの光歩君のご出産、おめでとうございます。教会員の有志で、出産祝い金を送らせていただきました。」と。


その小樽の教会員の捧げものを通して、主は、その月の必要な経費を賄ってくださったのです。


ピリピ4:19節「また、私の神は、キリスト•イエスの栄光のうちにあるご自分の豊かさにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」とのみことば、

特に「あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」とありますように、


それ以後の人生においても、私たちの家族の必要以上でもなく以下でもなく、神様が、私たちの家族に必要と思われる必要な分のみを満たしてくださるお方であることを体験的に知り続けていったのです。


横浜での生活は、わずか一年間で、多摩市に住居を引っ越しするようになりました。それは、二つの理由からでした。


一つは、近くで教会の働きをされている宣教師が、私の自宅まで尋ねて来られ、別の地域に引っ越して、教会の働きをして欲しいと言われたことからです。


もう一つは、私が、横浜だけでなく、同じ群れに属する他の教会にも仕えることができるように、また、由起子さんが、府中にあるS出版において仕えることができるように、


私たち夫婦が、それぞれの場所で、それぞれの賜物を用いて、共に仕えることができるようにと、B師を通して勧められたからです。


このような、二つの状況の理由の中に、主のみこころがあることを受け入れて、多摩市に導かれて、引っ越しをしたのです。


ハレルヤ!

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