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2.主から遣わされた三番目の東京の国立の教会における懐かしい思い出(2)

国立の教会に赴任すると、日曜日と月曜日を除く毎朝5時から早天祈祷会を行うようになりました。P宣教師ご夫妻と、私たち夫婦の4人だけで、祈りの時を持つようになりました。また、教会の近辺に、教会案内や、トラクトなどを配布するようにしました。


そのような中で、ご主人の仕事の転勤で国立に引っ越しをされたM兄姉ご家族が、家のポストに入ったいた教会案内を目にされて、国立の教会に導かれたのです。そのご家族は、この国立の教会とは異なる教団教派の教会の出身でした。


また別のご夫妻のことですが、ご主人は当初は、ノンクリスチャンでしたが、クリスチャンであった岐阜出身の奥様のために、国立にある別の教会をすでに探しておられて、その教会の礼拝に日曜日の当日に、車で連れて行こうとされていたのですが、道を迷われて、


何と、私たちが属する国立の教会に導かれ、それ以降、礼拝と平日の集会にも出席するように導かれたのです。不思議なことをなさる神様であることに感謝です。


そのF姉も、また、M兄姉ご家族と国立の教会とは異なる教団教派の教会の出身でした。その後、F姉のご主人も救いに導かれて洗礼を受けられたのです。


そのように、聖霊様は、「分裂した国立の教会」を、また、「私と異なる聖霊理解の教会」を、「異なる教団教派の超教派の礼拝と交わりの教会」に導いてくださったのです。


このことは、創世記28:15節「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り」という、このみことばの約束通りになされた神様のみわざでありました。


ご主人の転勤によって国立の教会に導かれたM姉は、現在は、千葉県東金市にあるE教会の伝道師として召されて奉仕をされています。聖霊様が、E教会の前任の韓国人のK牧師を通して、M姉を伝道師として立てられたのです。


M姉は、しばらくの期間、伝道師としての召命に対して、自らの様々な能力不足の故に悩まされる時を持っていましたが、現在は、「自分が弱さを抱えているが故に、弱さを抱えている者たちの集まる教会のメンバーの苦しみや悩みを理解することができる。


ああ、このために自分が、主から伝道師として召されたのだ」と、主からの召命感をいただいて、弱さを抱えている者たちの集まる教会のメンバーに寄り添って仕えておられます。


E教会の前任の主任牧師であった韓国人のK牧師が、脳梗塞による体調不良になられたことから、M伝道師から、私も月一回の奉仕の依頼を受けたのです。


そして、その教会での奉仕は6年目に入り、現在も月一回、そのE教会で、燃え尽き症候群と鬱病という弱さの恵みを通された私と、パニック障害という弱さの恵みを通された長男の臨副牧師が奉仕をさせていただいているのです。


弱さの恵みを身をもって通された二人、そして、今も尚、弱さの恵みを抱えている二人、その弱さをオープンにさらけ出して主を証しする二人が、不思議な聖霊様の導きを感じながら奉仕をさせていただいているのです。


あなたは、今までの人生において、どのような弱さの恵みを身をもって通されて来られたでしょうか。また、現在、どのような弱さの恵みを抱えておられるでしょうか。その弱さをオープンにさらけ出し、主を証しすることで、主の栄光が現わされるのです


そのための秘訣は、それでも、神様が私を赦していてくださる。受容していてくださる。尊重していてくださる。愛していてくださるという全人的体験です。


Iコリント12:9〜10節「しかし主は「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。


ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」とある通りです。


キリストの力、聖霊様の力は、「自分の強さを誇る」ことのうちに完全に現れるのではなく、「自分の弱さを誇る」という恵みのうちに完全に現れるとは、何と幸いなことでしょう。


※余談ですが、現在は、別の場所に引っ越しをされていますが、当時、国立の教会の近くに、三浦友和さん、山口百恵さんご家族の邸宅があり、そこにも、教会案内や集会案内やトラクトなどを配布したことがありました。


国立の教会には一度も導かれることはありませんでしたが、山口百恵さんとは、近所のお店や、また、お子様を臨と同じスイミング教室に通わせていたことがあって、


何度かその場所でお会いしたことがありました。周りの方々が一般人のように配慮して、話しかけることもせずに、そっとしていた感がありました。


ハレルヤ!

 
 
 

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