22.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(22)
- funaborigracechape
- 8 時間前
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前回からの続き
この弟子訓練による教会形成は、イエス様の弟子化大命令に基づくものでした。小牧者(信徒リーダー)を養育し、育成する働きであったのです。
私は、1989年の韓国でのサラン教会でのO牧師による弟子訓練の牧会哲学を学んだ牧師研修からスタートして、1999年までの約10年間、熱心に弟子訓練の学びと教会形成に力を注いで来たのです。
しかし、結果は、弟子訓練による教会形成に取り組んできた多くの他の教会と同じく、船堀の教会も、1999年に分裂に陥ったのです。
日本人の4家族と、韓国人の2家族合わせて6家族が、教会から離れて行ったのです。残られたのは、私たち家族と、わずかな婦人たちだけでした。
船堀の教会の分裂に伴って、今まで借りていた集会場から、別の場所での集会場を探す必要が生じたのです。
教会が分裂した年と同じく、1999年3月に船堀駅前にあるタワーホール船堀が開設となり、その施設の一室を、それも、教会名をはっきりと打ち出しても利用できる集会場を、主は備えてくださり、現在も、その場所を利用させていただいているのです。
それから、今まで、借りていた集会場に置かせていただいていた私の書棚と書籍などを、自宅に移動させる必要があることから、その当時の自宅では、書棚と書籍を置くスペースがなかったので、別の物件の家探しをして、引越しすることも必要になったのです。
そして、主は、江戸川区松江四丁目の自宅から、三丁目の物件の家に導いてくださったのです。そして、現在は、二丁目の自宅に、主は導いてくださったのです。
更に、今まで、教会から、私たち家族の生活に必要な経済的なサポートを受けていましたので、フルタイムで教会の働きをしていましたが、教会が分裂したため、夫婦共々、働かざるを得ない状況にまで、陥ったのです。
由起子さんは、塾講師の仕事からスタートし、そして、ある工場での仕事をし、それから、教師の仕事をするように導かれていったのです。
私は、結婚式の司式をするブライダルの仕事を、数ヶ月するようになったのですが、月二回程度では、経済的に必要な支えとなるには、不十分であったのです。
それで、そのブライダルの仕事を辞めて、新聞の折り込みチラシを見ながら、次の仕事を祈り求めていましたが、四つほどの配送関係の仕事に絞られて、
「主よ、この仕事ですか、それとも、この仕事ですか」と、主にお聞きしたのですが、その四つとも、主から背中を押されるゴーサインがなかったのです。
そうこうしている内に、ご主人が召された数ヶ月後に、奥様であった船堀の教会員のK姉も召され、私は、ご遺族の息子さんに依頼されて、K姉の葬儀の司式を執り行うことになったのです。
以前、国立の教会で、私は、初めての葬儀の司式を執り行うことになった時に、色々な面で助けてくださったことがあり、好印象がありましたので、N葬儀社に連絡をしたのです。
私は、全く知る由もなかったことですが、当時、N会長は、千葉地域の教会の営業をしてくださる牧師を祈り求めていたのです。以前に、何人かの牧師たちと、個人面談の時を持たれたそうですが、お互いに同意することがなかったとのことでした。
N会長から、私に「営業の仕事の協力をしていただけないでしょうか。勿論、牧会中心で、協力可能な曜日で結構なのですが、どうでしょうか。」と、言われたのです。
どういう仕事の内容なのかが不明瞭でしたので、それで、「私でもできる仕事の内容でしょうか。」と、尋ねますと、
「では、すでに、神奈川で協力していてくださっているI牧師との交わりの時を持つように、スケジュールを調整しますので、後日、連絡します。」と、言ってくださったのです。
しばらくして、N会長から連絡があり、I牧師との交わりの時を持ち、私にでもできる仕事の内容であることが確認できましたので、N葬儀社での契約社員としての営業の仕事が導かれたのです。
そのような経緯を通して、神は、このN葬儀社で働くことを計画されていたので、今まで絞り込んでいた配送関係の四つの仕事に、神からのゴーサインがなかったことを理解できたのです。
このように、教会が分裂するという試練を通されながらも、主は、次の集会場を備えてくださり、また、新しい家を備えてくださり、さらに、経済的においても、私たち夫婦の仕事先をも備えてくださったのです。
詩篇103:8〜14節「主は あわれみ深く 情け深い。怒るのに遅く 恵み豊かである。主は いつまでも争ってはおられない。とこしえに 怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように 主は 私たちの背きの罪を私たちから遠く離される。父がその子をあわれむように 主は ご自分を恐れる者をあわれまれる。主は 私たちの成り立ちを知り 私たちが土のちりにすぎないことを 心に留めてくださる。」
神は、実にあわれみ深く、情け深く、恵み豊かなお方です。
次回に続く
ハレルヤ!
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