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26.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(26)

前回からの続き


Iサムエル記1:15〜16節で、ハンナは、「いいえ、祭司様。私は心に悩みのある女です。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に心を注ぎ出していたのです。


このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私は募る憂いと苛立ちのために、今まで祈っていたのです。」と言った後、


18節で「・・・それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。」と記されていますが、顔は心(霊)の窓と言いますが、ハンナの心(霊)が癒やされ、解放され、自由にされた結果、食事が取れるようになり、顔が変えられたのです。


このハンナに起こったことが、私の身にも起こったのです。


その後、しばらく、数か月の期間、「HOLY LAUGH(聖なる笑い)」の体験に導かれたのです。


誰かが、おかしなことを言ったり、お笑い番組を見ているわけでもないのに、事あるごとに、笑いが、霊、心からほとばしり出て来たのです。


何気ない時にも、車を運転している時にも、食事をしている最中でも、困ったことに、祈りの最中でも笑いが起こったのです。


余りにも、笑いすぎて、お腹が痛いので、「主よ。これ以上、笑わせないようにしてください。お腹が痛くて、苦しいですから。」と祈らざるを得ない時もあったのです。


以前、ある一時期、超教派の集会で、「HOLY LAUGH(聖なる笑い)」が起こりましたが、その時は、「HOLY LAUGH(聖なる笑い)」にも対して、人為的なように感じて、否定的な印象を持っていたのですが、


自らが、イエス・キリストの十字架体験を通しての「HOLY LAUGH(聖なる笑い)」を体験して、「HOLY LAUGH(聖なる笑い)」とは、


イエス・キリストの十字架による心の傷の癒しと、罪の告白に伴う罪の赦しと、悪霊の要塞が破壊され、悪霊の束縛からの解放と自由の結果、もたらされるものではないだろうかと思っているのです。


聖霊様は、讃美歌集のミクタム(赤)のプレイズ&ワーシップの19番「主の喜びが心にあれば」の歌詞通りに、悲しみは笑いに、苦しみは喜びに、嘆きは踊りに、主の喜びで、私の心を満たしてくださったのです。


「主の喜びが心にあれば 主の喜びが心にあれば 悲しみは笑いに 苦しみは喜びに 嘆きは踊りに すぐに変わる」


聖書のみことばの根拠は、イザヤ61:1〜4節「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒すため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、


主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。


彼らは、義の樫の木、栄光を現す、主の植木と呼ばれる。彼らは昔の廃墟を建て直し、かつての荒れ跡を復興し、廃墟の町々、代々の荒れ跡を一新する。」です。


捕らわれ人が解放され、囚人が釈放された結果、飛び上がるような歓喜や賛美や笑いが起こるのは当然です。


使徒3:6〜8節で、ペテロは、生まれつき足の不自由な人に、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして彼の右の手を取って立たせた。


するとたちます、彼の足とくるぶしが強くなり、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩いたり飛び跳ねたりしながら、神を賛美しつつ二人と一緒に宮に入って行った。人々はみな、彼が歩きながら神を賛美しているのを見た。」とある通りです。


また、主が大いなること、復興してくださった時に、神からの賜物として、笑いが与えられるというみことばは、詩篇126:1〜3節「主がシオンを復興してくださったとき私たちは夢を見ている者のようであった。


そのとき 私たちの口は笑いで満たされ 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき 諸国の人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなさった。」主が私たちのために大いなることをなさったので私たちは喜んだ。」です。


それから、次に、聖霊様は、私を、「チェンジング・ライフキャンプ」、そして、「エリヤハウス」のセミナーへと導いてくださったのです。  


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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