国際福音教会での複数の教会(府中•新宿•船堀•横浜)に仕える働きのために、一つは、物理的に交通の便を考慮する必要がありました。
もう一つは、子どもたちを、保育園に預けることが必要でありました。それらを総合して、聖霊様の導きによって、多摩市に導かれたのです。
同じ群れで働くK伝道師が乗っていた軽自動車を、多摩市の引っ越し先でいただけることになりました。
それで、引っ越し先の多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅近辺の住居、駐車場付きで、賃料2Kで57,000円位の物件を求めて、不動産屋に、由起子さんと一緒に祈って出かけたのです。
何件かの不動産屋に出かけましたが、駐車場付きだと安くても、65,000円位の賃料でした。
それで、今度は、不動産屋ではなく、空きのある物件を歩いて探すようにしたのです。すると、私と由起子さんの肉眼の目で、その物件の建物上に一筋の光を、神様によって見させられたのです。
もしかしたら、この住居が、神様が用意されているものではないかと思って、その物件を扱っている不動産屋に行ったのです。
その不動産屋の職員に、まず、駐車場のことをお聞きすると、「ああ、あそこの物件ですね。隣に空き地があるでしょう。決まった区画はないので、どこでも、自由に空いているところに駐車しても大丈夫ですよ。駐車場は無料です。」
「では、家賃はいくらですか。」と、お聞きすると、「2Kで、57,000円です。」と、言われたのです。このようにして、神様によって、一筋の光を見させられて、「ここだよ」と住居をすでに備えてくださっていたのです。
私たちの神は、アドナイ•イルエ「主の山には備えがある」(創世記22:14節)の神です。
多摩市に引っ越ししてから、国際福音教会での働きが、ハードスケジュールになりました。由起子さんは、子どもたちを保育園に預けてから、府中まで、毎日、S出版での働きに出かけることになりました。
私は、平日は、国際福音教会のT兄から仕事をいただいて、自宅近くの工場で、ホンダのバイクの後部に、宅配用のボックスを取り付けるアルバイトをしながら、教会の働きをしていました。
私は、しばらくの期間でありましたが、月曜日から金曜日まで、府中の教会での午前5時からの早天祈祷会を担当するように導かれました。
水曜日は、横浜の信徒宅にて、午後9時からの弟子訓練の学びを担当し、指導するように導かれました。奉仕を終えて、多摩市の自宅には、午前1時後の帰宅でした。
日曜日は、新宿の中央教会で、午前7時からの早朝礼拝を担当するように導かれ、自宅に戻ってから、横浜での教会の午前10時半からの礼拝を担当するように導かれました。
また、水曜日のある期間は、由起子さんと一緒に、臨と光歩を連れて、弟子訓練の第5期生として、荒川区にある教会まで、車で学びに出かけて行きました。
私たち夫婦が一番若くて、「お子さんたちは、じっとしていてお利口さんね」と、一緒に学んでいた年輩の牧師夫人からよく言われました。
当時を振り返って、今考えると、私たち夫婦仲学んできた最中、神様が、目に見えない領域で、臨と光歩のベビーシッターをしていてくださっていたのだと思うのです。毎回、一度も、ぐずることはなかったのですから。
また、ある期間、牧師たちを指導する弟子訓練の一部を講師として、奉仕させていただいていたこともありましたが、その奉仕のために出かける朝、疲れ過ぎて、眼痛を起こして、目が開かず、奉仕をすることが出来なかった時がありました。
今思うと、オーバーワークであったのです。オーバーワークで倒れたのは、今までの牧会人生において、この時の一回だけです。
働き、奉仕においても、聖霊様に支配されることが必要であることを学ばされたことです。
ハレルヤ!
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