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3.主からの二番目の派遣先である東京の国際福音教会での懐かしい思い出(3)

国際福音教会での複数の教会(府中•新宿•船堀•横浜)に仕える働きのために、一つは、物理的に交通の便を考慮する必要がありました。


もう一つは、子どもたちを、保育園に預けることが必要でありました。それらを総合して、聖霊様の導きによって、多摩市に導かれたのです。


同じ群れで働くK伝道師が乗っていた軽自動車を、多摩市の引っ越し先でいただけることになりました。


それで、引っ越し先の多摩市の聖蹟桜ヶ丘駅近辺の住居、駐車場付きで、賃料2Kで57,000円位の物件を求めて、不動産屋に、由起子さんと一緒に祈って出かけたのです。


何件かの不動産屋に出かけましたが、駐車場付きだと安くても、65,000円位の賃料でした。


それで、今度は、不動産屋ではなく、空きのある物件を歩いて探すようにしたのです。すると、私と由起子さんの肉眼の目で、その物件の建物上に一筋の光を、神様によって見させられたのです。


もしかしたら、この住居が、神様が用意されているものではないかと思って、その物件を扱っている不動産屋に行ったのです。


その不動産屋の職員に、まず、駐車場のことをお聞きすると、「ああ、あそこの物件ですね。隣に空き地があるでしょう。決まった区画はないので、どこでも、自由に空いているところに駐車しても大丈夫ですよ。駐車場は無料です。」


「では、家賃はいくらですか。」と、お聞きすると、「2Kで、57,000円です。」と、言われたのです。このようにして、神様によって、一筋の光を見させられて、「ここだよ」と住居をすでに備えてくださっていたのです。


私たちの神は、アドナイ•イルエ「主の山には備えがある」(創世記22:14節)の神です。


多摩市に引っ越ししてから、国際福音教会での働きが、ハードスケジュールになりました。由起子さんは、子どもたちを保育園に預けてから、府中まで、毎日、S出版での働きに出かけることになりました。


私は、平日は、国際福音教会のT兄から仕事をいただいて、自宅近くの工場で、ホンダのバイクの後部に、宅配用のボックスを取り付けるアルバイトをしながら、教会の働きをしていました。


私は、しばらくの期間でありましたが、月曜日から金曜日まで、府中の教会での午前5時からの早天祈祷会を担当するように導かれました。


水曜日は、横浜の信徒宅にて、午後9時からの弟子訓練の学びを担当し、指導するように導かれました。奉仕を終えて、多摩市の自宅には、午前1時後の帰宅でした。


日曜日は、新宿の中央教会で、午前7時からの早朝礼拝を担当するように導かれ、自宅に戻ってから、横浜での教会の午前10時半からの礼拝を担当するように導かれました。


また、水曜日のある期間は、由起子さんと一緒に、臨と光歩を連れて、弟子訓練の第5期生として、荒川区にある教会まで、車で学びに出かけて行きました。


私たち夫婦が一番若くて、「お子さんたちは、じっとしていてお利口さんね」と、一緒に学んでいた年輩の牧師夫人からよく言われました。


当時を振り返って、今考えると、私たち夫婦仲学んできた最中、神様が、目に見えない領域で、臨と光歩のベビーシッターをしていてくださっていたのだと思うのです。毎回、一度も、ぐずることはなかったのですから。


また、ある期間、牧師たちを指導する弟子訓練の一部を講師として、奉仕させていただいていたこともありましたが、その奉仕のために出かける朝、疲れ過ぎて、眼痛を起こして、目が開かず、奉仕をすることが出来なかった時がありました。


今思うと、オーバーワークであったのです。オーバーワークで倒れたのは、今までの牧会人生において、この時の一回だけです。


働き、奉仕においても、聖霊様に支配されることが必要であることを学ばされたことです。


ハレルヤ!

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