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34.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(34)

前回からの続き


私にとって、新潟の教会は、ただ奉仕するためだけの場所ではなく、主が私を現場での体験を通して、聖霊様のご神格を歓迎すること、聖霊様のご神格の依存し、信頼すること、聖霊様のみわざに期待すること、


聖霊様を常に意識し、聖霊様の働きと導きを、ただひたすら待ち望み、常にアンテナを立て続けておくこと、


聖霊様のみこえを聞くこと、聖霊様との縦の関係の交わりを持ちつつ、同時に、関わる人たちとの横の関係を持って交わること、電話をすること、カウンセリングをすることなど、


聖霊様と二人三脚で歩み、聖霊様との相思相愛の親密な関係を持つように導かれるイエス様から直接、弟子訓練を受ける神学校の場所でもあったのです。


Iヨハネ1:3節「私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。」


新潟の教会での出来事ですが、私が、ある日曜日の礼拝説教を終えた後、信徒の一人のご婦人が、「何、今日の説教、恵まれなかったわねぇ」と、何度も、大きな声で言われたのです。


日曜日の公の礼拝の場で、そのように、信徒の方から説教を批判されたのは、今までの牧会人生において、初めてのことでした。


どんな内容の説教であったかは、覚えてはいませんが、普通常識がある人であれば、たとえ、牧師や宣教師や伝道師の語る日曜日の礼拝説教が恵まれなかったとしても、口先だけでも、「先生、今日の説教、恵まれましたというのになぁ」と思いつつ、


でも、正直と言えば正直な方なのでしょう。確かに、私を含め、日曜日の礼拝説教に対して、「今日は、上手く説教できず、良くなかったなぁ」という思いを抱いたことは、他の牧師や宣教師や伝道師も、何度も体験済みだと思います。


余程、その方にとっては、恵まれない説教だったのでしょう。もしかしたら、あるいは、聖霊様によって、その方の心に突き刺された説教だったのかも知れません。


他の兄弟姉妹も、その方に、どのように対応すれば良いのかわからずに、戸惑っている様子でした。しかし、私の説教に対して、その方に批判されても、聖霊様に守られて、私は不思議と落ち込むことはありませんでした。


以前にも分かち合いましたように、「過剰反応をされた、その方の内にある未解決なもの、未処理なものは何だろう」と、その方の潜在意識、霊の領域、心の奥底の中にあるものに、注意を向けていたからです。


それゆえ、私は、何もなかったかのようにして、昼食の時と、午後の時間の分かち合いの時を持つことができたのです。


新潟での奉仕を終えて、自宅に戻り、また、一ヶ月後、新潟に奉仕に出かけますので、早速、「主よ。あのご婦人の方の潜在意識、霊の領域、心の奥底の中にあるものは何でしょうか」と、ワンダフル・カウンセラーであるイエス様に、直接お聞きする時を持ったのです。


すると、そのご婦人の方の潜在意識、霊の領域、心の奥底の中にあるものが、聖霊に賜物の一つである「知識のことば」によって示されたのです。


Iコリント12:7〜8節「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。ある人には御霊を通しての知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。」


そして、一ヶ月後、また、新潟の教会に出かけたのです。


次回に続く


ハレルヤ

 
 
 

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