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39.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(39)

前回からの続き


私が牧師であることを明かしていないその時に、一人の60代のご婦人が、「私は、三歳の時、両親が畑仕事をしている間、仕事中は、ここにいるのよと両親に言われて、木の下にビニールシートを敷いてもらって、一人でいたのです。


寂しいから、お父さん、お母さん、一緒に遊んでと、大きな声で叫びたいのだけれど、お父さん、お母さんの仕事の邪魔をしてはいけない、我慢しなければいけないと思いつつも、片手をグーにして、口に入れて、


自分の感情、気持ちを押し殺していたことを、今でも、私の思いの中に、はっきりと記憶として残っているのです。」と、分かち合ってくださったのです。


そのことを聞かされた私は、


「私たちが信じている神様は、過去、現在、未来をご支配しておられる永遠の神様ですね。ということは、私たちの過去の時にも、今現在において、イエス様は来てくださる、ご臨在してくださるということですね」と、説明してから、


私は、「イエス様、一人寂しく木の下で、片手をグーにして、口に入れて、両親に一緒に遊んで欲しいという自分の感情、気持ちを押し殺していた、このご婦人の三歳の時に来てください」と、お祈りをしたのです。


そして、その方に、「どうですか」とお聞きすると、「何かぼんやりしていますが、人のような存在を感じます」と、言われたのです。さらに、私は、「イエス様、もっとはっきりと、その子にわかるようにしてください」と祈ると、


その方は、「三歳の時の私を、イエス様が、高い高いをしてくださっているのが見えます」と言われたのです。そのことを体験されて、そのご婦人の三歳の時の心の寂しい思いは、癒やされたのです。


しかし、その時には、その場所には、私に電話してくださった姉妹はいなかったのです。その時、その場所にいて、それらのことを見聞きされたご高齢の牧師夫人のお母様が、


「今日、N葬儀社の人が来られて、このような神様のみわざが起こったのよ」と、娘さんに話されたそうです。


つまり、電話をくださった姉妹は、ご高齢の牧師夫人の娘さんであったのです。そういう経緯があって、また、その教会のお父様の牧師は、すでに召されておられて、


当時、無牧(常駐牧師が不在)ということもあり、「一年間の間、一カ月に一回、礼拝説教の奉仕に来ていただけないでしょうか」と、ご高齢の牧師夫人の娘さんから電話があったのです。


以前に、聖霊様から、「あなたは神の国の牧師の意識をもって仕えなさい」という語りかけを聞いていたので、今度は、東京のこの教会での奉仕の道に導かれていることが、神のみこころであり、


新潟の教会の兼任の牧師となることは、神のみこころではないと悟って、一週間後のお世話係会の席上で、そのような聖霊様の導きの経緯について証しし、分かち合わせていただいたのです。


使徒16:9〜10節「その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。


パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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