top of page

4.主から遣わされた三番目の東京の国立の教会における懐かしい思い出(4)

国立の教会の礼拝には、私たちが赴任する前から、ダウン症の二人のクリスチャンのO姉とF姉が出席されていました。


O姉とF姉は、友人関係にあり、大の仲良しでした。教会で、一泊お交わり会の時を持ち、車で山梨に出かけた時がありました。


帰りに、車が渋滞している時、私たちはイライラするような状態であったのですが、同乗していたお二人は、「楽しいね」と言われて、いつものように精神状態が安定していました。


O姉は、笑顔の絶えない明るい性格で、積極的なお母様の影響、感化を受けられて、フルートや、様々な習い事などにもチャレンジされていました。


私たちが国立の教会を辞任してから、O姉は、主からの使命を果たし終えて、40代で召されたとの知らせを受けました。


ハンディがありながらも、いつも変わらず精神状態が安定していて、人生を積極的に前向きに生きておられた姿が今でも記憶に残っています。


また、私たちが国立の教会に赴任してから、心の病を抱えた40代の女性のAさんが、礼拝に出席されるようになりました。礼拝の時間の間、ずっと長椅子に着席していることが出来ませんでした。


それで、二階の会堂入口前に、フトンを敷いて寝かせて、礼拝に出席するようにしたのです。


また、私たちの家族と一緒に食事をする時を持ったことがありましたが、私たちが子どもたちに接する態度を見て、Aさんに、子どもたちにやきもちを焼いている態度が見られたのです。


まだ、この時点では、カウンセリングの学びは受けたことはありませんでしたが、Aさんの生育歴の中に、ご両親からの愛情不足があったのではないだろうかと思わされたことでした。


しばらく、Aさんのために、フトンを敷いて寝かせて、礼拝に出席してもらうようにしていましたが、P宣教師から、今後、そのようなことをしないようにとの指示を受けたのです。


その時には、冷たいような指示として受け止めて、よく理解出来ませんでしたが、現在では、P宣教師の対応は、もう一面必要なバウンダリーズ(境界線)の面からの指示であったことを理解することが出来ます。


私たちが、国立の教会を辞任してから、次の転任先の江戸川区の船堀の教会に奉仕している時にも、Aさんから、度々、電話がかかって来るようになりました。


ある晩のことですが、Aさんから「私は生きていることが辛く、自殺したいです」と電話がありました。


そして、電話で話している最中に、次第にか細い声になって来ましたので、電話ということもあって、相手の様子を伺い知ることが出来ませんので、「手首でも切って、自殺を図っているのではないだろうか」と、不安と心配と恐れを抱いたのです。


その夜は、心配と不安と恐れのあまり、一睡も出来なかったのです。ただ、Aさんのために、寝床の中で、ただひたすら祈り続けていたのです。自分が一身に、AさんとAさんの重荷を背負っていたのです。


次の日に、昨晩のことは何も無かったかのように、Aさんから電話がかかって来たのです。一安心するとともに、睡眠導入剤を服用されていたことから、眠くなって、か細い声になったことを知らされたのです。


この出来事を通して、他人と他人の重荷を、自分が一身に背負っていたことに気づかされたのです。そして、他人と他人の重荷を主に委ねること、お預けすることを学ばされる機会となったのです。


国立の教会に掲げてあった大きな看板に、マタイ11:28節「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。


わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とのみことばが記されてあったにも関わらず、自らが、そのみことばを必要としていたことに気づいていなかったのです。


このみことばは、ノンクリスチャンだけに必要なみことばではなく、クリスチャンであり、牧師である私にも必要なみことばであったのです。


あなたも、私と同じように、現在、何か自分が一身に背負って、心配と不安と恐れを抱いているものは、何かないでしょうか。主に背負っていただく、主にお預けしては如何でしょうか。


聖書に、次のようなみことばがあります。


マタイ11:28〜30節「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。


わたしは柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」


詩篇55:22節「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。(以前の訳では、主は、あなたのことを心配してくださる。)主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」


ピリピ4:6〜7節「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。


そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト•イエスにあって守ってくれます。」


ハレルヤ!

 
 
 

最新記事

すべて表示
54.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(54)

今回も、N葬儀社に関わることですが、ある教会のご遺族のお父様の葬儀での火葬と収骨に携わった時のことです。 それは、N葬儀社の現場担当者の方が、その葬儀中に、別の教会での葬儀が発生して、その葬儀の担当をしなければならない状況になりましたので、私が代わって、火葬と収骨に携わる必要が生じたのです。 ご遺族の娘さんから、「火葬前に、もう一度、棺の蓋を開けていただいて、お父さんとの最後のお別れは出来ますか」

 
 
 
53.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(53)

前回からの続き 前々回の50番目の証しにおいて、異端の方の葬儀の司式を行うことに関して、私の最初の反応の正直な思い「それは、出来ないでしょう。それは、まずいでしょう。それは、無理でしょう。 未信者の方ならまだしも、異端の方なのだから」という気持ちをお伝えし、最初は、断ろうかと思っていましたが、私の思いの中に働かれる聖霊様と、聖霊様の語りかけを聞かされたこと、聖霊様の導きの中での葬儀の司式であったこ

 
 
 
52.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(52)

前回からの続き このような異端の方の葬儀の司式を行ったのは、私のこれまでの人生において、ただ、この一回だけで、N葬儀社に確認をしましたが、それ以前も、以後も、異端の方の葬儀の依頼はないとのことです。 不思議なことに、そのご遺族とは無関係の方ではありますが、私は、20年ほど前に、新潟の教会で奉仕をすることをきっかけに、異端から救われたS姉との関わりを持つように導かれていましたが、 このS姉は、生ける

 
 
 

コメント


©2022 by 船堀グレースチャペル。Wix.com で作成されました。

bottom of page