top of page

41.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(41)

前回からの続き


聖霊様から、「あなたは神の国の牧師という意識をもって仕えなさい」という語りかけを聞いて、その後、また、私と以前、同じ教団で働いていた、知り合いの牧師から招かれて、東京の別の教会での礼拝説教の奉仕に出かけることになったのです。


私は、今から25年前の40代の時期に、燃え尽き症候群に陥り、鬱状態を体験したことから、行く先々の教会で、牧師である自分が、どのようなプロセスを通して、鬱状態に陥ったのか、


また、鬱状態に陥った時は、どのような症状があったのか、どのような苦しみの中を通されたのか、そして、そこから、どのようにして、神様の恵みによって回復されて来たのかを証しするようになったのです。


そして、それら一連のことを通されて来たことの結果、結論に至るまでの神様のお取り扱いを体験的に味わされて来たので、「鬱は恵みです」と語るようにしているのです。


それは、もし、自分が鬱にならなければ、知り得なかったこと、わからなかったこと、気づかなかったことがあったからです。私が鬱になったおかげで、知り得た、わかったこと、気づかされたことがあったからです。


鬱を通して、自分の内面に覆い隠されていた、自分でも知り得なかった、わからなかった、気づいていなかった、福音化されていない領域に、聖霊様による光が照らされて、今まで分かち合わせていただいたような様々な恵みを受けて来たからです。


その中心的なことは、マルコ1:11節「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」に関することです。


私の行いとは無関係に、イエス様の十字架の贖いの恵みを、信仰によって受け入れるという無条件に神によって愛され、喜ばれている存在とされていたのに、そして、そのことを、頭の知識では知っていた、わかっていた、信じていた、そして、口でも告白していたのに、


潜在意識(無意識)の領域において、知っていなかった、わかっていなかった、信じていなかったということに気づかされたのです。


私の潜在意識の領域において、福音ではなく、自分の行いによって、何らかの業績、成果を上げることで、神に愛され、喜ばれようとするメカニズム、律法体質が残存していたことに気づかされたのです。


すべての人は、魂の知識(顕在意識)よりも、潜在意識(無意識)の方に大きな影響、感化を受けているのです。


「初めに神の愛ありき」という福音が、聖霊様の啓示によって、潜在意識に入り、知らされ、わからされ、気づかされ、信じるように至らせたのが、鬱のおかげであったのです。だから、「鬱は恵み」だと、語るようになったのです。


説教を終えると、食事の時間になったのですが、5〜6名の信徒の方々が、私のそばに近づいて来られて、「実は、今、私は鬱なのです」と、正直に代わる代わる分かち合ってくださったのです。


「鬱は恵みですということばに救われました」と、分かち合ってくださったのです。30分近く、その方々との関わりを持っていましたが、ある一人の姉妹が、私を後部席で、ずっと待っておられたのです。


その5〜6名の方々との関わりが終わると、早速、後部席で待っておられた、その一人の姉妹が、私のところに来られて、「実は、私の主人は、鬱で自殺したのです。


先生が、鬱がどれほどつらいのか、説教中に話してくださったのですが、私は、主人の鬱のつらさを理解できず、主人を責め続けていたので、私が主人を殺したのだなと思わされたのです。


それとともに、そのことをイエス様に言い表し、十字架で罪を赦していただいた体験を、先生の説教中に、神様がしてくださったのです」と、分かち合ってくださったのです。


そのように語る姉妹の顔の表情や、態度や、ことばからは、罪責感や、自責の念から解放されているのが見てわかりました。


イエス様は、礼拝説教中に、その方にご臨在を現されて、心の傷の癒やしと罪の赦し、罪責感や、自責の念から、十字架によって解放してくださったのです。


ルカ4:18節「主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、目の見えない人に目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」


ハレルヤ!

 
 
 

最新記事

すべて表示
54.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(54)

今回も、N葬儀社に関わることですが、ある教会のご遺族のお父様の葬儀での火葬と収骨に携わった時のことです。 それは、N葬儀社の現場担当者の方が、その葬儀中に、別の教会での葬儀が発生して、その葬儀の担当をしなければならない状況になりましたので、私が代わって、火葬と収骨に携わる必要が生じたのです。 ご遺族の娘さんから、「火葬前に、もう一度、棺の蓋を開けていただいて、お父さんとの最後のお別れは出来ますか」

 
 
 
53.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(53)

前回からの続き 前々回の50番目の証しにおいて、異端の方の葬儀の司式を行うことに関して、私の最初の反応の正直な思い「それは、出来ないでしょう。それは、まずいでしょう。それは、無理でしょう。 未信者の方ならまだしも、異端の方なのだから」という気持ちをお伝えし、最初は、断ろうかと思っていましたが、私の思いの中に働かれる聖霊様と、聖霊様の語りかけを聞かされたこと、聖霊様の導きの中での葬儀の司式であったこ

 
 
 
52.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(52)

前回からの続き このような異端の方の葬儀の司式を行ったのは、私のこれまでの人生において、ただ、この一回だけで、N葬儀社に確認をしましたが、それ以前も、以後も、異端の方の葬儀の依頼はないとのことです。 不思議なことに、そのご遺族とは無関係の方ではありますが、私は、20年ほど前に、新潟の教会で奉仕をすることをきっかけに、異端から救われたS姉との関わりを持つように導かれていましたが、 このS姉は、生ける

 
 
 

コメント


©2022 by 船堀グレースチャペル。Wix.com で作成されました。

bottom of page