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49.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(49)

今回も、N葬儀社との関わりのあることですが、国立の教会での葬儀の司式から始まって、現在の船堀の教会での葬儀の司式、また、N葬儀社からの依頼を受けての葬儀の司式を含めて、


今までに、10人前後の家族葬から、約800人ほどの社葬に至るまで、総勢約4,000人の方々に十字架と復活の福音宣教をさせていただいて来ました。


このような葬儀の司式をさせていただいている途中からではありますが、私が特に心がけるようになったことがあります。


その一つは、私にとって、この葬儀に出席されている方々とは、この出会いの機会が最初であり、最後かもしれない。


また、この葬儀に出席されている方々は、福音を聞く機会が、これが最初で、最後かもしれないという思いで、「一期一会」の気持ちで、語らせていただいていることです。


十字架と復活の福音は、神話ではなく、作り話でもなく、歴史的にも真実であると、葬儀の説教中に、出席者の方々に、お伝えすることがあります。


もう一つは、私自身が体験したことからのことでありますが、以前にも、分かち合いましたように、私は、北九州市の黒崎にあったルーテル教会の米国人のF宣教師を通して、福音の種が蒔かれました。


その時には、イエス様を信じる決心に至ることはありませんでしたが、神のご計画のプロセスの中で、北九州市の黒崎の教会で福音の種が蒔かれて二年後に、


愛知県の名古屋のS教会で、復活の主イエス様との出会いによって、イエス様を信じる決心に導かれ、刈り入れられました。


ヨハネ4:37節「ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。」とありますように、神は種を蒔く人と、刈り入れる人を備えておられるということです。


勿論、愛知県の名古屋のS教会で、私が救われたこと、刈り入れられたことは、その当時、教会におられたJ宣教師と教会員の方々は、そのことを知っておられて感謝なことではありますが、


しかし、北九州市の黒崎のルーテル教会で、福音の種を蒔いてくださったF宣教師は、未だに、私が救われて、刈り入れられて、牧師の働きに召されていること、また、長男の臨も、副牧師に召されていることを知らないでいるのです。


福音の種が蒔かれて、今年で、53年経過しましたが、英語を教えてくださり、福音の種を蒔いてくださったF宣教師のことが、聖霊様によって、今も変わらずに、私の脳裏から忘れられないで、覚えさせられているのです。


その自分の体験から、葬儀に出席されたことで、福音の種が蒔かれた後に、その方々の人生において、神のご計画のプロセスの中で、私の知らないところで、気づいていないところで、


救われていく(る)かもしれない、刈り入れられていく(る)かも知れない。また、働き人に召される(ている)かもしれないという、聖霊様に期待する思いで、葬儀の司式の奉仕をさせていただいているのです。


伝道者の書11:1節「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。」


Iコリント15:58節「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」


ハレルヤ!

 
 
 

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