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5.主から遣わされた三番目の東京の国立の教会における懐かしい思い出(5)

前任の日本人牧師が辞任されてから、教会から離れていた80代のS兄がおられました。ある日、教会員の70代のO姉から、S兄の自宅への訪問の依頼を受けました。


それで、O姉と一緒にS兄の自宅へ、「国立の教会にP宣教師のアシスタントとして、赴任することになりました若木です」と、挨拶に出かけることにしました。


私は、S兄に、教会に戻られて、礼拝に出席されるようにとお勧めしましたが、教会の分裂を通して、心に強い痛みと傷を抱えておられることから断られました。


O姉と私たち夫婦で何度かS兄の自宅へ訪問していく中で、S兄は、「被害者として受けた心の傷」とともに、「加害者として与えた自分の罪」をも、神様に取り扱われている様子でした。


やがて、S兄は、聖霊様の恵みの働きかけによって、十字架による心の傷の癒しとともに、自らの自由意志をもって、P宣教師を赦すことを選択されて、教会に戻られて礼拝に出席されるようになりました。


教会に戻られて、礼拝に出席されることは、S兄にとっては容易なことではなかったはずです。


P宣教師との関わりの中で、S兄は、「イエス様の十字架を仰いで、P宣教師を赦し続ける選択と」、「自らも、P宣教師に対する罪を赦し続けていただく者であるとの認識」をもって、礼拝に出席し続けられました。


教会が分裂して、教会に戻って来られたのは、このS兄の一人だけでした。


それから、S兄は、毎週土曜日の午前中に教会に来られて、日曜日の礼拝のために、お花をご自分で買って来られて、2時間も費やされて、お花をいけられる奉仕を忠実に、主の御許に召されるまで続けられました。


また、私たち家族に対して、差し入れを持って来てくださることも度々ありました。私たちは、国立の教会では三年間の奉仕でありましたが、その期間中にS兄は、主の御許に召されました。


S兄は主の御許に召されるまで、黙々と、人の目に目立つことなく、誰からも褒められること、認めてもらうこと、人からの称賛を求めることもなく、


ただ、十字架で自らの心の傷を癒し、罪を赦してくださったイエス様への愛に対する応答として、自分にできるイエス様への愛の奉仕として、


日曜日の礼拝のために、毎週土曜日に、お花を奉仕を忠実にされ続けられていた姿が、今でも私の脳裏に焼きついているのです。


「被害者としての心の傷と、加害者としての罪を、イエス様の十字架によって、癒され、赦され続けられたS兄」と、「十字架に現わされたイエス様の愛に対する応答として、お花をいけられる奉仕を、主の御許に召されるまで続けられたS兄」であった記憶が残っています。


私が、S兄の葬儀の司式をさせていただくことになりましたが、今まで、葬儀の司式をしたことがなく、初めての葬儀の司式でした。


この時、依頼した葬儀社が、キリスト教葬儀社の「N企画」でした。当時、会長であったN氏には大変お世話になったことがきっかけとなり、約5年後、この葬儀社に関わる働きをするとは、夢にも思っていなかったのです。


また、O姉には、同教団の牧師をしていた息子さんがいました。O姉は、楽天的で、多血気質の方でした。私たち家族に大変良くしてくださいました。


私たちが国立の教会から離れてからも、国立の方面に出かける時には、事前に連絡もせずに、突然お邪魔して、O姉の自宅に寄らせていただき、温かいおもてなしを受けたことが何度かありました。私たちの子どもたちに良くしてくださいました。


やがて、O姉の一人暮らしに対して心配をされた東北の地の仙台で牧会されておられる息子さんご家族と同居生活をするように導かれました。


由起子さんは、一度、東北の地の仙台でO姉とお会いし、交わりの時を持つ機会がありました。そのO姉も80代で、主の御許に召されました。


「楽天的で、人々を大歓迎し、心地良い思いを抱かせる、温かなおもてなしをされるO姉」でした。そのような、O姉の姿が、今でも脳裏に焼きついています。


エペソ2:10節「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト•イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。」


ハレルヤ!

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