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65.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(65)

前回からの続き


四つ目は、M姉は、聖霊に満たされた時もあった人であり、女の弟子(主の弟子)であった人です。


M姉は、心の病のゆえに、霊的にダウンされることが多くありましたが、しかし、聖霊に満たされていた時も何度もありました。


それは、M姉の顔の輝きにも、表情にも、また、口から出る、肯定的で、いのちと力に満ちたことばにも現れているほどであったのです。特に、祈りの霊が注がれて、聖霊様が、M姉を通して祈っておられることが、誰にでもわかるほどでありました。


また、M姉が、女の弟子(主の弟子)であった人ということに関しては、次の聖書箇所から証し出来ます。


使徒9:36〜40節「またヤッファに、その名をタビタ、ギリシャ語に訳せばドルカスという女の弟子がいた。彼女は多くの良いわざと施しをしていた。


ところが、そのころ彼女は病気になって死んだ。人々は遺体を洗って、屋上の部屋に安置した。


リダはヤッファに近かったので、ペテロがそこにいると聞いた弟子たちは、人を二人、彼のところへ遣わして、「私たちのところまで、すぐ来てください」と頼んだ。


そこで、ペテロは立って二人と一緒に出かけた。ペテロが到着すると、彼らはペテロを屋上の部屋に案内した。やもめたちはみな彼のところへ来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたころ作ったくれた下着や上着の数々を見せるのであった。


ペテロは皆を外に出し、ひざまづいて祈った。そして、遺体の方を向いて、「タビタ、起きなさい」と言った。すると彼女は目を開け、ペテロを見て起き上がった。」


2024年7月10日(水)のM姉を偲ぶ会の時でのことでした。T姉とH姉のお二人は、M姉をまるで実の姉のように慕って、多くの愛を受けたことを証しされたのです。


困っていた時、落ち込んでいた時、悩みの中にあった時、励ましてくれたこと、聖書を教えてくれたこと、一緒に祈ってくれたこと、食料品を届けてくれたことなど、M姉の生前の数多くの親切な愛の行いを証しされたのです。


M姉が、突然召されたことは、特に、T姉とH姉のお二人にとって、大きな悲しみと寂しさを抱いておられるのを、私は、偲ぶ会に出席していて感じたのです。


H姉は、M姉から言われた「神様はあなたの味方で、いつでも、どんな時でも守ってくださっている素晴らしいお方だから」ということばが、心に刻まれていたのです。


それは、H姉にとって、残された生涯を生きる上で、どれほど大きな勇気と力が与えられた福音のことばであったことでしょう。


この聖書箇所に出て来る女の弟子(主の弟子)タビタ(ドルカス)が、やもめたちに、良き愛のわざをすることによって、彼女たちから慕われていたように、


M姉も、T姉やH姉に、良き愛のわざをすることによって、

彼女たちから慕われていたように、そういう意味において、女の弟子(主の弟子)であったということが言えるのではないでしょうか。


以前、異端の統一教会から、「あなたは役に立たない」と言われて、存在を否定されて、見捨てられましたが、M姉は、イエス様にあって、「役に立つ人」として、存在を肯定されて、神様に用いられた人であったのです。


ピレモン11節「彼(オネシモ)は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。」


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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