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7.主から遣わされた三番目の東京の国立の教会における懐かしい思い出(7)

前回からの続き


続いて、開拓伝道における主のみこころを尋ね求めたのです。知り合いの牧師ご夫妻が、すでに幼児保育を通して、千葉県で開拓伝道の働きをされていたことを知っていたこともあり、また、由起子さんが教員免許を持っていましたので、その牧師ご夫妻を訪ねて、色々と実情をお聞きしたのです。


しかし、このことの導きに関しても、私たち二人の心の思いには、聖霊様からのゴーサインの促しはなかったのです。これも、主のみこころではないと気づかされたのです。


そうこうしている内に、


私たちの方から、国立の教会を辞任する話をしたことや、これからの導きを相談したわけではありませんでしたが、国立の教会の前に仕えていた別の教団のトップのB師から、「私たちの教団での教会の働きはどうですか」と、お誘いの電話があったのです。


最初は、「府中の教会は、どうですか」と、言われましたが、しかし、事前に、米国の宣教団体の責任者のS師と国立の教会のP宣教師から、


「もし、国立の教会の前の別の教団での教会の働きに戻るようになるのであれば、国立と府中は近い距離のこともあり、府中の教会での働きは避けてください」と、言われていたのです。


使徒16:6〜8節に「それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリギュア•ガラテヤの地方を通って行った。


こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。それでミシアを通って、トロアスに下った。」


とありますように、私は、米国の宣教団体の責任者のS師と、国立の教会のP宣教師が言われたことを、聖霊によって禁じられていること、イエスの御霊がそれを許されないこととして、信仰によって受け入れたのです。そして、そのことを、B師にお伝えしたのです。


続いて、B師は、「では、新宿にある中央教会はどうですか」と、言われましたが、B師が、その後、「中央教会は、韓国人の留学生が多く出席していることもあり、すでに、韓国人のリーダーがいるからね」と、中央教会での働きは、みこころではないと判断されたのです。


そして、最後に、船堀の教会の話になったのです。B師は、「実は、現在、船堀の教会で奉仕しているK師が、茨城県のつくばの教会で訓練を受けたいという願いを持っていて、


船堀の教会を辞任したいという申し出を受けているのですが、その船堀の教会での働きはどうですか」と、言われたのです。


そのことが、使徒16:9〜10節に、「その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と、懇願するのであった。


パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。」


とありますように、このことが、その船堀の教会のことに結び付けられて、そのように、B師との電話でのやり取りを通して、更に、その教団のそれぞれの教会の事情、実情のことも考慮して、聖霊様は、次に私たちが仕える主のみこころの場所として、船堀の教会に導かれたのです。


ハレルヤ!

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