73.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(73)
- funaborigracechape
- 4月13日
- 読了時間: 4分
こんなこともありました。S先生は、私に帰納法的に考えさせるように訓練するために、水曜日の祈祷会の帰りの車中で、私に質問を度々、投げかけられたことがありました。
その一つでありますが、「若木君、なぜ、クリスチャンは、自殺してはいけないと思う」と、質問されたことは、はっきりと今でも記憶に残っています。
その時には、私は、出エジプト記20章の十戒の一つの13節に、「殺してはならない」と、書いてあることを引用して、「他殺だけでなく、自殺も、神様は禁じているからです」と、答えたことを覚えています。
しかし、その時に、S先生が言われたことばが、今でも忘れられないでいるのです。
「若木君、僕は、聖書を読んでいると、人は、自分のために生きているのではなく、神様と他人のために生かされているように思うんだ。
アナニア(使徒9:10〜18節)や、バルナバ(使徒9:26〜27節、使徒11:25〜26節)は、神様によって、パウロの助けや励ましや慰めのために用いられて生かされたように。
若木君、僕たちは、自分は小さな者、弱い者、貧しい者、何が自分が、神様や人様の役に立つことが出来るかと思うようなことがあっても、
神様によって、僕や若木君の助けや励ましや慰めを必要としている人が、どこかにいるんだ。神様のために、その人のために生きて行く必要があるんだ。」
ということばです。そのS先生の言われた通りのこと、それは、神様の口から出たことばであると、信仰によって受け止めていますが、当時、人見知りで、あがり症で、赤面症で、口下手で、人前で話すことが大の苦手で、
小心者で、対人恐怖症であり、特に、女性への対人恐怖症が強かった私、まだ、聖書や神様のことをよく知らなかった私、そして、まだ、聖書のみことば体験も、神様体験も浅かった私でありましたが、
それ以後の私の人生において、様々な試練や、神様からのお取り扱いの訓練を通されながらでありましたが、神様が私と引き合わせようとされている方々に対して、
ただただ、神様の愛と恵みと憐れみとによることですが、そのようなことがなされていることが嬉しくてたまらないのです。また、そのような弱さを抱えている私を用いて生かしてくださる神様が大好きです。
これまでのこの思い出シリーズの配信も、聖霊様によって、どなたかの心に、助けや励ましや慰めとなって届けられているなら、それは、私にとって喜びであり、また、幸せなことです。
神様は、あなたにも、あなたの助けや励ましや慰めを必要とされている方々を備えておられるのです。
あなたが今までの人生で通されて来られた、あるいは、また、これから通されるかも知れない罪深い体験、傷つき体験、失敗体験、失望体験、落胆体験、挫折体験、喪失体験、身体と心の病体験、
また、赦し体験、癒やし体験、回復体験、成功体験、歓喜体験、恵み体験、祝福体験、神様のご臨在体験、神様の愛体験、などを通して、
あなたを通してでしか助けられない、励まされない、慰められない方々のために、神様は、あなたを用いようと生かされているのです。あなたは、神様と、神様によって引き合わせようとされている方々にとって尊い存在なのです。
Iコリント1:26〜31節「兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。
しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。
「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。」
ローマ14:7〜8節「私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
次回に続く
ハレルヤ!
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