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75.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(75)

以前に、私が愛知県の電機会社での寮生活をしている時に、全く面識のない一人の寮生が、無料の英会話の学びを餌にして、私を母教会のS教会に誘ってくださったのですが、その人が、H兄であったことを分かち合いました。


H兄は、その時には、もうすでにクリスチャンでありました。そして、H兄のお兄様は、鹿児島のある教会で、牧師として奉仕をしておられたのです。そういうわけで、H兄は、そのお兄様から伝道されて、クリスチャンになられたのです。


私も一度、H兄に誘われて、飛行機で、お兄様が牧会しておられる鹿児島の教会に出かけ、お兄様にお会いしたことがあります。温厚な性格の印象を受けたことを覚えています。


また、今は、絶版になっていますが、また、滝元明先生が推薦文を書かれていましたが、お兄様は、ご自分の生い立ちや、鹿児島の教会での牧会に関する証しの本を、キリスト教出版のいのちのことば社から出版されたことがあったのです。


H兄は、4年ほど勤務された電機会社を退職されて、文書伝道の働きに献身されて、キリスト教出版社のいのちのことば社の名古屋の書店に勤めるようになったのです。


H兄の気質は、胆汁気質で、献身的であり、負けず嫌いが強く、熱心さがあり、若い20代でありましたが、S教会の役員にも選出されるほどでありました。


そして、それは、名古屋のキリスト教書店に勤務している時にも発揮されて、2年後には、新規開拓の静岡の浜松のキリスト教書店の店長に抜擢されるほどでありました。


そして、H兄が、静岡の浜松のキリスト教書店の店長として、S教会から離れる前に、Y姉と結婚式を挙げられたのです。


そのY姉は、H兄と私と同じ電機会社に勤めていた人で、H兄が、その人に伝道し、救いに導かれ、洗礼を受けられて、S教会の教会員として、礼拝に出席しておられたのです。


そして、H兄が、静岡の浜松のキリスト教書店の店長となって、静岡の浜松に引っ越しをすることで、H兄の後任として、名古屋のキリスト教書店での働きを、S師とともに、私に勧めてくださったのです。


一度、私は、静岡の浜松のキリスト教書店での仕事の応援依頼を受けて、クリスマスの時期に出かけたことがありましたが、準備のために、夜を徹して仕事を手伝わされるほど、H兄には、強いオーナーシップがありました。


そして、長年、いのちのことば社に勤務されて後、独立されて、ご自分で、キリスト教出版社のE社を立ち上げられて社長となられたのです。


東京で持たれた、ある超教派のキリスト教の集会で、社長となられたH兄が、司会をしておられました。社長となられたH兄に久しぶりにお会いし、私にその集会での祈祷を依頼してくださったことがありました。


私を、母教会のS教会に誘ってくださった愛知県の電機会社の寮生のH兄、文書伝道の働きに献身されて、名古屋のキリスト教書店に勤務されたH兄、


それから、静岡の浜松のキリスト教書店の店長となられたH兄、その後、キリスト教出版社のE社の社長となられたH兄が、2024年の3月に70歳で、主の御許に召されたことを知りました。コロナ禍のこともあり、葬儀は、家族葬で行ったとのことです。


「そう言えば、H兄はどうしているだろう」と、スマホで検索することで知ったのです。聖霊様が、「そう言えば、H兄はどうしているだろう」という私の思いに働きかけられて、H兄が、主の御許に召されたことを私に知らせてくださったのです。


H兄は、真に、主から文書伝道としての召しと使命と賜物を受けておられた方で、その使命を最後まで全うされたと、御霊によって証しが出来ます。


神様が、H兄を用いて生かしてくださったおかげで、また、H兄のとりなしのお祈りのおかげによって、


私が19歳の時、名古屋のS教会での礼拝の集会中に、「あなたは、わたしを神としていない」という復活されて、今も生きておられるイエス・キリストとの出会いの体験、


イエス・キリストのご臨在の体験、イエス・キリストのみこえを聞かされる体験を通して、救いを受ける者とされたのです。


私が、復活されて、今も生きておられるイエス・キリストのみこえを聞かされたその日曜日に、F宣教師に、「私は、今日、今、イエス様を信じ受け入れます」と、言った時に、


H兄ただ一人が、声を出して泣いて、涙を流してくださったことを、今でも忘れずに覚えています。私の救いのために、ずっと覚えて祈っていてくださっていたのです。H兄が、私にとっての助け、慰め、励ましの人であったのです。


H兄は、私との関わりにおいて、私を主イエス・キリストと、名古屋のS教会と、名古屋のキリスト教書店に導くために、神様によって用いられ、生かされた方でありました。


ローマ14:7〜8節「私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」


ハレルヤ!

 
 
 

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