79.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(79)
- funaborigracechape
- 2 日前
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前々回からの証しのストーリーの続き
そして、そのY牧師の肉の耳に聞こえる、私の口を通して語る音声のあることばでは、そのY牧師に、その二冊の書籍を紹介し、
そのY牧師の肉の耳では聞こえない、私の心を通しての音声のないことばでは、「主よ。このY牧師に、この書籍を購入したいという思いを与えてください。」と、Y牧師と、主との同時親交をしたのです。
すると、そのY牧師が、「この二冊の書籍を買います」と、言われた時、Y牧師の肉の耳に聞こえる私の口を通して語る音声のあることばでは、「有難う御座います。」と、Y牧師に感謝して、代金の3,500円をいただき、
Y牧師の肉の耳では聞こえない、私の心を通しての音声のないことばでは、主に感謝して、「ハレルヤ!」と、主に叫んだのです。
この時、私が、お釣りを払うお金を持っていないことを知っておられる主は、そのY牧師に、お釣りが要らないように支払いをさせてくださったのです。
私たち神の子どもとされた者は、このように、対人関係と、対神関係との同時親交の生き方が可能とされているとは、何と幸いなことでしょうか。
まだ、お昼までには、少し時間がありましたので、近くにある別の教会に訪問することにしました。そこの教会の牧師夫人と、しばらく立ち話をしていますと、「教会に入りませんか」と、勧められて、
教会でも、しばらく、牧師夫人の主の恵みの証しをお聞きしていますと、「お昼を過ぎましたので、良かったら、昨日の残りのカレーがありますが、私たちと一緒に食べませんか」と、言われて、カレーライスと、飲み物をご馳走してくださったのです。
サイフを忘れた私に、主は、私の考えた思い、方法であったN葬儀社の書籍の売り上げ代金の公費を使わせずに、牧師夫人に働きかけられて、食べ物と飲み物を備えてくださるという主の方法で、
夏場のその日、私を脱水症や熱中症から守ってくださり、自宅に無事に戻ることが出来るようにされる主の恵みのみわざにあずかったのです。
そのY牧師と、別の教会の牧師夫人には、私が、サイフを持ち合わせていない、そのような状況に置かれていたことの中で起こった出来事であることを、未だに分かち合っていませんので、
今現在も、知らないでいるのです。Y牧師と、別の教会の牧師夫人のお二人は、その日、私を助けるために、主によって用いられて生かされたのです。
そのように、日常生活において、私たちも、お互い同士、また、関わりを持たれている方々との対人関係の中で、また、見知らぬ人との対人関係の中でも、お互いに気づかないで、知らないで、あるいは、知らされないで、わからずにいることの中で、
相手の方々から、自分が助けられたり、あるいは、自分が相手の方々を助けていることがあったりして、主によって用いられて生かされているのです。
ローマ14:7〜8節「私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」
次回に続く
ハレルヤ!
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