81.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(81)
- funaborigracechape
- 2 日前
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今回から、しばらく、小樽の教会時代から、今現在も交わりのあるM兄に関して、彼の身になされた主の恵みのみわざを分かち合いたいと思います。
私は、1994年に神学校を卒業して、牧師として最初に主によって遣わされた教会が、小樽の教会でありましたが、その小樽の教会での出会いが、M兄との交わりの始まりです。
当時、小樽の教会の教会員で画家を目指していたクリスチャンのS兄がいましたが、M兄は、そのS兄との関わりが以前からすでにありました。
M兄は、画家を目指してS兄を頼って、群馬から小樽に引っ越して来られたのですが、その当時、M兄は、クリスチャンではありませんでした。
S兄が、小樽の教会の礼拝に集っていましたので、S兄に誘われて、M兄も毎週の礼拝に出席されるようになりました。
小樽の教会の一階が礼拝堂で、二階が牧師宅でありましたが、二階の牧師宅で、私と由起子さんで、初心者の若い方々を招いて、毎週金曜日の夜に、食事を兼ねて聖書の学びをしていました。
他教会の若いご婦人と、小樽の教会の二人の姉妹が集っていましたが、私たちが、その集会にM兄をお誘いすることで出席されるようになったのです。
その当時、私は由起子さんと結婚していて、私は31歳、M兄は独身で27歳でした。2026年現在は、私が71歳で、M兄は67歳ですのでで、今から40年前ということになります。その当時から現在も変わらずに、M兄は、ユニークな存在で、ユーモアのセンスがあります。
M兄は、アルバイトをしながら、小樽での生活をしていましたが、ある時、経済的なピンチが訪れて悩まされるようになり、M兄の顔が暗くなり、教会の礼拝や、金曜日の夜の集会にも、しばらく欠席される時期がありました。
アルバイト先を求めて探しても道は開かれず、途方に暮れていましたが、しかし、M兄は、自宅で、聖書を貪るように、ひたすら読むようになったのです。いや、聖霊様が、M兄に聖書を貪るように読ませるようにされたのです。
しばらくして後、教会の礼拝と、金曜日の夜に集会にも再び出席されるように回復されたのです。
私は、M兄に、「経済的ピンチに陥ったことからの悩みに、どのようにして勝利されたのですか」と、お聞きしますと、
「私は、お金がない、大家さんに家賃が払えない、アルバイト先が見つからないと、途方に暮れて悩まされていましたが、自宅で聖書を貪るようにひたすら読み続けていく内に、聖書のあることばに出会ったのです。」と、分かち合ってくださったのです。
次回に続く
ハレルヤ!
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