82.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(82)
- funaborigracechape
- 1 日前
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前回からの続き
M兄は、アルバイトをしながら、小樽での生活をしていましたが、ある時、経済的なピンチが訪れて悩まされるようになり、M兄の顔が暗くなり、教会の礼拝や、金曜日の夜の集会にも、しばらく欠席される時期がありました。
アルバイト先を求めて探しても道は開かれず、途方に暮れていましたが、しかし、M兄は、自宅で、聖書を貪るように、ひたすら読むようになったのです。いや、聖霊様が、M兄に、聖書を貪るように読ませるようにされたのです。
しばらくして後、教会の礼拝と、金曜日の夜の集会にも再び出席されるように回復されたのです。
私は、M兄に、「経済的ピンチに陥ったことからの悩みに、どのようにして勝利されたのですか」と、お聞きしますと、
「私は、お金がない、大家さんに家賃が払えない、アルバイト先が見つからないと、途方に暮れて悩まされていましたが、自宅で聖書を貪るようにひたすら読み続けていく内に、聖書のあることばに出会ったのです。」と、分かち合ってくださったのです。
それは、マタイ6:25〜34節「ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着るもの以上のものではありませんか。
空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。」
「このみことばに出会って、お金がなくて、大家さんに家の家賃が払えないのに、アルバイト先が見つからないのに、不安や心配や恐れの気持ちは消え去り、心に神からの平安が与えられたのです」と、証ししてくださったのです。
この時、M兄は、求道者であった時のことです。
もし、自分の置かれている状況、環境に振り回されて、不安や心配や恐れの中にあるようであれば、M兄がされたように、聖書のみことばを貪るように、ひたすら読み続け、主のみことばを見つけ出すようにすることをお勧めしたいのです。
あなたの置かれている状況や環境は、依然として変わらずとも、聖書のみことばが、あなたの心と思いを救ってくださるからです。
エレミヤ15:16節「私はあなたのみことばが見つかったとき(第三版では、私はあなたのみことばを見つけ出し)、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」
詩篇107:20節「主はみことばを送って彼らを癒やし 滅びの穴から彼らを助け出された。」
詩篇119:50節「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、あなたのみことばは私を生かします。」
次回に続く
ハレルヤ!
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