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85.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(85)

7月6日
読了時間: 4分

前回からの続き


「ある教会は、メッセージは良いのですが、セル集会は弱いです。ある教会は、賛美は良いのですが、メッセージか弱いです。」などと、分かち合ってくださったのです。


私は、彼らから、そのようなことを聞かされて、「どの教会も、完全な教会はないのだな。自分(人)が100%満足するような教会は、どこにもないのだな。」ということを知らされたのです。


そこで、私は、M兄姉ご夫妻に、「では、あなた方の目で見て、船堀の教会はどうですか。遠慮しないで、正直に言ってください。」と、思い切って、尋ねてみたのです。すると、「セル集会は良いのですが、賛美が弱いですね。」と、正直に言ってくださったのです。


M兄姉ご夫妻が、分裂する前に出席されておられた教会は、プロのクリスチャン音楽家で構成されているあるオーケストラのリーダーが、その教会の賛美のリードをされておられたのです。


そのことを聞かされた私は、


M兄姉ご夫妻に、「教会の弱いところ、足らないところ、欠けたところに目が留まるということは、聖霊様は、あなた方に、教会をさばかさせるため、非難させるためにではなく、その弱いところ、足らないところ、欠けたところを、


あなた方が仕えるように、建て上げるようにと、目を留めさせておられるのではないでしょうか。ぜひ、その賛美をあなた方が、船堀の教会で導かれては如何でしょうか。」と、提案させていただいたのです。


私は、M兄姉ご夫妻に、しばらく賛美の奉仕をしていただくことを、船堀の教会の方々にもお伝えしたのです。それまで、賛美リーダーや奏楽の奉仕をされていた方々も、嫌な思いや顔をせずに、私の提案をへりくだって受け入れてくださったのです。


それから、M兄姉ご夫妻は、M兄か賛美リーダーとして、奥様のK姉が奏楽者として、礼拝の一時間前の午前9時半頃に来られて、約40分近くリハーサルをされて、午前10時半からの礼拝の賛美を導かれるようになったのです。


船堀の教会には、それまで、賛美リーダーや奏楽をしておられた方々もおられましたが、へりくだられた方々で、「M兄姉ご夫妻が導かれる賛美は、良いですね。」と、主にあって、彼らを受容してくださり、認めてくださったのです。


これまでの40年間にわたる私の牧会人生において、それぞれの教会の弱いところ、足らないところ、欠けたところをさばかれて、非難されて、教会から離れて行かれた方々が、残念ながら、どの教会の時にもおられました。


いや、他の日本の教会だけでなく、全世界のすべての教会において、同じようなことが起こっているのではないでしょうか。


あなたが属している教会の弱いところ、足らないところ、欠けたところに目が留まるのであれば、キリストのからだである教会のかしらであられるイエス様は、


あなたに、その教会をさばかさせるために、非難させるために、また、その教会から離れることの理由とするために目を留めさせておられるのではなく、そのところに、あなたが愛をもって仕えるようにと目を留めさせておられるのです。


なぜなら、教会はキリストのからだであるからです。教会をさばき、非難することは、それは、つまり、キリストのからだを傷つけて、痛めていることであり、


また、同時に、キリストのからだの一器官である自分自身をも傷つけて、痛めていることになり、それは、すなわち、キリストをも悲しませている行為なのです。


反対に、教会に、御霊による愛の労苦によって仕え、建て上げて生かすことは、キリストのからだを愛して、いたわっていることであり、


また、キリストのからだの一器官である自分自身をも愛して、いたわっていることになり、それは、すなわち、キリストをも喜ばせている行為なのです。


使徒9:4〜6節「彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。』


彼が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。


立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる』」


使徒26:14節「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』」


コロサイ1:24節「今、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。私は、キリストのからだ、すなわち教会のために、自分の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。」


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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