92.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(92)
- funaborigracechape
- 1 日前
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今回から、私は、ここ最近、聖霊の賜物の一つである異言に関して、二人の方とのお交わりを通して、聖霊様からの恵みと証しによって励ましを受けましたので、そのことに関して、分かち合いたいと思います。
異言に関しては、聖書では、Iコリント12:10〜11節に「•••ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。」と、言われています。
また、Iコリント14章では、2節に「異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。」と、言われていて、
また、その後に続く4節では「異言で語る人は自らを成長させますが(新改訳第三版では、異言を話す者は自分の徳を高めますが)•••」と、言われています。
また、13節では「そういうわけで、異言を語る人は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。」と、言われていて、
14〜15節では「もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈りますが、私の知性は実を結びません。それでは、どうすればよいのでしょう。私は霊で祈り、知性でも祈りましょう。霊で賛美し、知性でも賛美しましょう。」とも言われています。
先ず、一人の方とのお交わりを通してのことでありますが、N葬儀社での営業の仕事の関係で、現在進行形で、お交わりをさせていただいている牧師の一人であるN牧師です。
その地域の方面の教会に営業の仕事に出かけていく際には、N牧師が、その教会におられる時には、お交わりをさせていただいています。
そして、その教会で葬儀が発生した際には、N牧師は、N葬儀社に連絡をくださるので、仕事上では、お世話になっているお得意様です。
N牧師は、神学に非常に長けた知的な先輩牧師で、最初の頃は、神学に関する話題が中心のお交わりでありました。特に、三位一体の神論、終末論に強い関心を持っておられる牧師です。
N牧師とのお交わりを重ねていく内に、以前に、私と同じ教団で牧会をしておられたことを知るようになったのです。
当初、N牧師は、私と同じその教団で、私が牧会していた教会とは別のある教会で、牧会しておられたのですが、
異言の賜物に関することがきっかけで、その教団から離れざるを得なくなったそうです。現在は、その教団から離れて、ある群れの教会に所属しているのです。
聖霊の賜物に関しては、ある教団では、初代教会時代に限定されることであって、現在の教会時代には、そのようなことはないと否定する神学の立場と、
また、別の教団では、初代教会時代に限定されることはなく、現在の教会時代にも恵みを受けることができるという肯定する神学の立場とがあります。
N牧師が、その教団の神学校で教えを受けたのは、前者で、聖霊の賜物は、初代教会時代に限定されることであって、現在の教会時代には、そのようなことはないと否定する神学の立場であり、N牧師も、ずっと、その神学の立場に立っておられたのです。
ところが、あることがきっかけで、後者の、聖霊の賜物は、初代教会時代に限定されることはなく、現在の教会時代にも恵みを受けることができるという肯定する神学の立場に変えられることになったのです。
次回に続く
ハレルヤ!
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