私が67歳の誕生日を迎えた月である、2022年の2月14日(月)より、毎週月曜日に、今までにおける私の生涯を、聖霊様と聖書のみことばによって黙想した神様の愛と恵みとあわれみの証しを、ラインを用いて配信するようになりました。
その経緯は、船堀グレースチャペルの2022年の新年のみことばが、箴言4:23節「何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。」の聖書箇所に導かれたことにあります。
そして、心が満たされるためには、聖霊様と聖書のみことばによる黙想を通しての交わりが不可欠です。そのために、船堀の教会のメンバーに、どのようにして、聖霊様と聖書のみことばによる黙想をすれば良いのか、私がまず、自分の人生を振り返って見ることによる聖霊様と聖書のみことばによる黙想をする見本を示して、それを参考にしていただければとの思いから始めたものです。
そして、進めていくうちに、船堀の教会のメンバー以外のクリスチャンや、ノンクリスチャンの方々にも、神様の愛と恵みとあわれみに触れていただくようになればとの思いが生まれたのです。
いつまで続くのかわからずに、見切り発車でスタートしましたが、次々と、毎週月曜日に配信する内容の証しが、聖霊様に導かれていることがわかるようになってきたのです。
しかし、当初、これは自分を誇ること、自慢すること、自分に栄光を帰すことになるのではないかという思いを抱いたのです。
しかし、マルコ5:18~19節に、イエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人がお供させてほしいとイエスに願った。しかし、イエスはお許しにならず、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰りなさい。そして、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを知らせなさい。」それで、彼は立ち去り、イエスが自分にどれほど大きななことをしてくださったかを、デカポリス地方で言い広めた。人々はみな驚いた。と、記されています。
この聖書のみことばが、私の思いに与えられて、主が私にどんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、家族や、船堀の教会のメンバーや、その他の方々に分かち合うこと、お伝えすることは、つまり、イエス様を誇ること、イエス様を讃えること、イエス様を崇めること、イエス様に栄光を帰すことになることではないか。
私以上に、そのことを、イエス様が強く望んでおられること、欲しておられること、願っておられることを知らされたのです。
しかし、私が、この恵みを分かち合うことには、他にも目的がありました。その一つは、この証しを読まれる方々が、各々ご自分の人生を、過去から今現在に至るまでを振り返って、ご自分の身に起こった様々な出来事の体験を、聖霊様と人格的に交わりつつ、聖書のみことばに結び付ける黙想をされて、その時々に生きて働かれる神様のご臨在があったこと、神様の守りと備えと導きがあったこと、神様の御手とみわざがあったこと、神様の隠されたみこころがあったことを知らされて、神様の愛と恵みとあわれみを発見されて、現在において、「神様(聖書のみことば)とともに歩むことの幸いな人生」を身につける、体得するための参考と助けになればとの思いから始めたことでもあるのです。
30代の若い世代の方々でも、今までの自分の人生を、神様と聖書のみことばによる視点で見直す作業は益になりますし、人生80歳とするなら、私のように人生の第四コーナーに突入された60代後半の年輩の方々には、特に、終活の一つの備えの作業としてお勧めしたいと思っているのです。
もし、皆様方の中に、神様によって志が与えられ、御霊に導かれて、私のこれから配信するものを読みつつ、自分の人生に適用されて、ノートに記入されるか、パソコンに入力されて、皆様方の人生に絶えず関わりを持ち続けていてくださる神様との新鮮な出会いの時とされて、感謝と賛美に導かれますなら幸いなことです。
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