top of page

1.主から遣わされた三番目の東京の国立の教会における懐かしい思い出(1)

国立の教会に新しく赴任されたアメリカ国籍を取得された韓国人のP宣教師から、今まで国立で牧会されていた日本人牧師が辞任されたとのことで、代わりの日本人牧師を、誰か紹介してくれないだろうかと、韓国人のB師に相談があったそうです。



それで、B師から私に、「国立の教会での働きはどうですか」との話しがあったのです。しかし、その教会は、分裂した教会であること、



また、その教会が属する教団は、私と異なる聖霊理解の教団であることを知っていたので、自分の肉の思いでは行きたくなかったのです。



しかし、それは、自分の肉の思いであったので、御霊の思い願いはどうなのかと、毎日、デボーションを通して、神の御思い、神のみこころを尋ね求める時を、継続的に持ち続けていました。



すると、半年ほど経過したある時のデボーションで、創世記28:15節「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」



とのみことばの、特に、「あなたがどこへ行っても、あなたを守り」の「どこへ行っても」ということばが、私の心に強く臨んだのです。



「あなたが分裂した教会へ行っても、あなたを守る」、「あなたが、あなたと異なる聖霊理解の教団、教会へ行っても、あなたを守る」と、



不安と心配な思いと恐れを抱いていた私の心に語りかけて、私の心から不安と心配と恐れを取り除き、励まし、勇気づけてくださったのです。



そのようなわけで、聖霊様と、「あなたがどこへ行っても、あなたを守り」という神様のことばに後押しされて、国立の教会の牧会に導かれたのです。



その教団で、トップの立場にも立てられたことのある牧会経験が長くて温厚なK牧師と、その教団と協力関係にある米国の宣教団体の責任者で温厚なS宣教師と私との三者面談の時が持たれたのです。



そして、K牧師から、「教団の神学研修所での学びを受けてください。洗礼式と聖餐式の聖礼典の執行は、正教師になるまでは出来ません。本来は、説教免許を取得しなければ、説教は出来ないのですが、



若木先生は、牧会経験がありますので、説教をしていただいて結構です。しかし、説教免許を取得するための試験は受けていただきます。」と言われたのです。



それで、毎週三回、神学研修所に通うことになったのです。説教免許の取得のための試験内容は、三か月の期限内に、「神について、また、聖三位一体について」の小論文の提出と、



一か月前に公表される指定聖書箇所からの説教演習と、そして、試験当日に公表される旧約と新約の聖句箇所の八つの内から四つを、自分で自由に選択をしての聖句の釈義でした。



小論文と聖句の釈義は、一回目でパスしましたが、指定聖書箇所からの説教演習は、恥ずかしい話ですが、釈義の問題で、一回目は落ちたのです。二回目はパスしましたが。



赴任するにあたり、P宣教師からは、私の立場は、「アシスタント(助手)」と言われたのです。週報にも、宣教師:P宣教師の名前の下に、アシスタント:若木末敏として印刷されていました。



私の頭の中には、「アシスタントではなく、協力牧師としての立場でしょう」との思いがありました。今まで、牧師としての肩書きと牧会経験があっただけに、へりくだらされることでありました。聖霊様は、このP宣教師を通して、私自身を取り扱ってくださったのです。



その当時は気づきませんでしたが、その時から30年以上経過した今思いますと、聖霊様は、P宣教師を通して、私を聖霊様に対しては、アシスタントの立場であることを認識させることにあったように思います。



今現在の私は、「聖霊様のアシスタント(聖霊様主導の助手)」の立場とされていることに誇りを持ち感謝をしているのです。



Iペテロ5:5〜6節「同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。



ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。」



ハレルヤ!


 
 
 

最新記事

すべて表示
54.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(54)

今回も、N葬儀社に関わることですが、ある教会のご遺族のお父様の葬儀での火葬と収骨に携わった時のことです。 それは、N葬儀社の現場担当者の方が、その葬儀中に、別の教会での葬儀が発生して、その葬儀の担当をしなければならない状況になりましたので、私が代わって、火葬と収骨に携わる必要が生じたのです。 ご遺族の娘さんから、「火葬前に、もう一度、棺の蓋を開けていただいて、お父さんとの最後のお別れは出来ますか」

 
 
 
53.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(53)

前回からの続き 前々回の50番目の証しにおいて、異端の方の葬儀の司式を行うことに関して、私の最初の反応の正直な思い「それは、出来ないでしょう。それは、まずいでしょう。それは、無理でしょう。 未信者の方ならまだしも、異端の方なのだから」という気持ちをお伝えし、最初は、断ろうかと思っていましたが、私の思いの中に働かれる聖霊様と、聖霊様の語りかけを聞かされたこと、聖霊様の導きの中での葬儀の司式であったこ

 
 
 
52.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(52)

前回からの続き このような異端の方の葬儀の司式を行ったのは、私のこれまでの人生において、ただ、この一回だけで、N葬儀社に確認をしましたが、それ以前も、以後も、異端の方の葬儀の依頼はないとのことです。 不思議なことに、そのご遺族とは無関係の方ではありますが、私は、20年ほど前に、新潟の教会で奉仕をすることをきっかけに、異端から救われたS姉との関わりを持つように導かれていましたが、 このS姉は、生ける

 
 
 

コメント


©2022 by 船堀グレースチャペル。Wix.com で作成されました。

bottom of page