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1.私が名古屋のキリスト教書店から、北海道の神学校に入学するまでのプロセス(1)

名古屋のキリスト教書店を退職する前に、神学校の導きを求めて、S教会のS師に相談をしました。S師から、最初、「シンガポールにある神学校はどうですか」と勧められました。というのは、S師と親しい交わりのある超教派の学生伝道の主事や、宣教師が、その神学校で学んでいたこともあり、尚且つ、学費が安いのではないかという理由からでした。

 

私は、学費や生活費の他に、英語の語学力も問題であると思いましたが、S師は、「1年目は苦労するかも知れませんが、2年目位からは何とかなるものですよ」と楽観的でした。それで、シンガポールの神学校の入学案内を入手しましたが、実際は、学費も生活費も安くはなかったのです。私が、これまでの仕事で蓄えた貯金額では、3年間の神学校生活での必要な経費を賄えないことが判明したのです。

 

それで、次に、「では、北海道の神学校はどうですか」と勧められたのです。S師は、北海道出身であることから、「北海道は広く、自然も豊かで、緑が多い場所で、学ぶ環境としては、静かに黙想できて良いと思いますよ」と、言われたのです。更に引き続き、「現在は、別の先生が神学校の校長をしていますが、実は、私の兄が、以前、その神学校の校長をしていたのです」と、言われたのです。その時に、初めて、そのことを知らされたのです。そして、S師の親族は、信仰的に豊かな恵みを受けておられたことを知ったのです。私が19歳でS教会の礼拝に出席するようになった時には、S師は、何と30代前半の年齢で、毎月1回、礼拝説教をしていたのです。

 

S師は、基本的に、どの聖書箇所からでも、御霊とみことばによって深く黙想されて、神の愛と恵みを汲み取られてメッセージをされていました。なので、私の霊、心に、みことばの恵みが染み入り、養われていたのを覚えています。S師は、シャイな方で、会衆を見つめることができず、ただ、ひたすら、聖書に目を留めながら説教をしていました。

 

その北海道の神学校に関してですが、実は、私より2年先に、私と同じ母教会のО兄が、その神学校で、すでに学んでいたのです。О兄も、S師に相談すると、北海道の神学校を勧められたとのことでした。そして、О兄から、私がこれまでの仕事で蓄えた貯金額で、北海道の神学校生活の必要経費は賄えますと言ってくださったのです。

 

このように、北海道の神学校に導かれた経緯は、S師の紹介と、同じ母教会のО兄が、すでに学んでいたこと、そして、О兄による、3年間の神学校での経済的必要の情報提供にありました。そこに、聖霊様の導きがあったことを信じているのです。

 

このО兄について、少し触れますが、元々は、四国にある他教会に属するクリスチャンでした。化粧品会社に勤めていて、転勤のために名古屋に来られて、私より後に、S教会の教会員として転入されたのです。

 

当初、日曜日の礼拝の日にも拘わらず、一人で登山によく出かけていました。ある日曜日のことですが、私は、登山服を着てリュックサックを担いだО兄に、路上で、ばったり会ったのです。

 

それで、私は、「Оさん、今日は、日曜日で礼拝の日ですよ」と話しかけると、О兄は、「知っていますよ。私は、今日、登山に出かけますので、皆さんによろしくお伝えください」と、罪責感、罪悪感のかけらもО兄から一切感じられず、堂々として出かけていたのです。

 

ところが、ある時、О兄は、ある教団の松原湖バイブルキャンプに一人で参加されたことがありました。そして、松原湖バイブルキャンプから帰った後、ある日曜日のS教会での礼拝の時に、証しをさせて欲しいと申し出られたのです。「私は、その松原湖バイブルキャンプで、献身の思いが与えられたので、これから、神学校で学び、牧師の道を歩みます」と証しされたのです。

 

О兄は、その時以来からすっかり変わってしまったのです。二度と、日曜日に、登山服を着てリュックサックを担いで登山に出かけることをしなくなりました。日曜日の礼拝だけでなく、水曜日の夜の聖書の学びと祈祷会にも欠かさず出席するようになったのです。

 

当時、О兄は、私の自宅の近くに住んでいたこともあり、ある日、О兄の部屋を尋ねて見ると、教会学校の教師としての奉仕を、自己申告して始められるようになり、そのために何と、自作の紙芝居を作っていたのです。今までのО兄を、近くで見て知っていただけに、非常な驚きでした。人が、これほどまでも変わるものか、いや、変えられるものかと、クリスチャンになって初めて、これほど強烈に思ったことはありません。

 

その後、自分も含みますが、失礼なことですが、「まさか、この人が」と思うような人をも変えられる聖霊様と、聖書のみことばによるみわざを、過去において何度も見させられて驚かされてきましたし、今も尚、現在進行形でなされているのを見させられて驚かされ続けさせられています。

 

アメイジング・グレイス(驚くばかりの恵み)です。まさしく、聖霊様と聖書のことばが、その人に臨まれるという、みわざ以外には考えられないことです。次の聖書のことばにある通りです。

 

ローマ14:4節「他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。」

 

Ⅱコリント3:18節「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を移しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

 

現在、О師は高松で、単立の教会で牧会をされています。今でも、年賀状を毎年、お互いにやりとりしています。

 

そのようなわけで、北海道の神学校に進む道が導かれ、名古屋のキリスト教書店を2月末で退職したのです。そして、今までお世話になった大家さんにも、北海道の神学校に行くことをお伝えし、3月末で、部屋の解約をすることを伝えたのです。名古屋在住の私の姉にも伝え、北海道の札幌に引っ越しのために荷物の整理を助けてもらったのです。

 

そして、2月末に飛行機に乗って、人生で初めて北海道に行ったのです。札幌にある神学校に行って、入学試験の筆記試験(聖書知識と、一般常識「英語と作文」)と面接に臨んだのです。4月から25歳で神学校に入学できるものだと疑わずに信じて。

 

次回に続く

 

ハレルヤ!

 
 
 

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