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1.船舶生活での懐かしい思い出(1)ー私の誕生に関わるエピソードー

私は、1955年2月3日、福岡県若松市(現在は、北九州市若松区)の船の中で、産婆さんの手を借りて誕生しました。両親が、福岡県の洞海湾で船舶(住居兼)での仕事をしていたからです。


 


私は、8人兄弟の末っ子として生まれました。長女の美恵子姉さんが、2歳で結核で召されたことは、私が中学生になって初めて知ったことでした。北九州市にある実家の墓地に、「美恵子」と書かれた小さな骨壺が納骨されてあったのをこの目で見ました。もし、今、生きていれば、2023年現在の私(68歳)より17歳上の85歳です。


 


私が中学生になった頃だったと思いますが、私より三つ上の洞海(きくみ:父の親友から、洞海湾にちなんで、名付けられたとのこと)姉さんから、私に対する何の悪意もなく、ただ、正直に、私は難産で産まれたこと、そして、母は私を産んだ時は41歳であったので、私を産みたくなかったという話を聞かされました。


 


他の二人の兄や、三人の姉たちも、そのことに関しては、母から聞かされて知っていたことだと思いますが、一度もそのことには触れず、何も語らず、私が傷つかないように配慮してくれていたのだと思います。


 


こんなことがありました。私より九つ上の四女の三子(みつこ)姉さんが中学生の頃、「友だちのところに遊びに行く」と、母に言うと、「一番下の末敏も連れて行きなさい」と言われ、5歳頃の私の手を引いて、一緒に出かけたこともありました。三子姉さんが、私のベビシッター役をしてくれて、思いやりの心で接してくれていたことを思い出すことができます。


 


また、母との苦い思い出としては、私が5歳の頃、幼い私の言い分もあったのですが、母は、私の言い分を聞くこともせず、一方的に、私が母の言うことを聞かないということで、箒(ほうき)の柄の堅い部分で、頭部をたたかれて、非常に痛かったことと、母に対して不快な思いがあったことを思い出すことができます。父から仕事に関して、ガミガミ言われていたことや、家事、育児などのストレスから来ていることもあったかと思います。


 


母の心情と、置かれている環境、状況、立場から考えて見るなら、すでに子どもたちが6人いる上に、船舶での厳しい仕事と、非常に不便な状況の中で、家事をもこなさなければならないことを思うと、大きなストレスを抱えていたことも当然だなと思います。今になって、私も子どもを三人持つ親となって、過酷な状況下にあって、私をよく育て上げてくれたものだと、すでに召された母に対して、ただただ感謝の気持ちしかありません。


 


このような環境、状況下に置かれた私の誕生と生存の意義に対する救いと癒しのみことばは、詩篇139:13節「あなたこそ 私の内臓を造り 母の胎の内で私を組み立てられた方です。」と、詩篇139:16節「あなたの目は胎児の私を見られ あなたの書物にすべてが記されました。私のために作られた日々が しかも その一日もないうちに。」です。


 


母は、自分の置かれていた過酷な状況、環境から、私の妊娠、出産、誕生、育児、生存を望んではいませんでした。しかし、私は、私の天の父なる神様と、御子なるイエス様と、聖霊なる神様からの力強い意思で望まれて、楽しみ、喜びとされて、母の胎の内で組み立てられて、妊娠し、出産し、誕生し、育児を受けて成長させられて、今現在も生存させられているのです。


 


三位一体の神様の愛と恵みに感謝します。


 


ハレルヤ!

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