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10.船舶での懐かしい思い出(10)ーメジロを飼育していた時のエピソードー

船舶生活者の中には、ペットとして、犬や猫を飼ったりしていた人たちがいましたが、私の父は鳥のメジロを飼っていました。(60年以上も前のことなので、メジロの飼育は許可されていました。2012年4月から、鳥獣保護法により禁止されています。)そして、私も父と一緒に、メジロの世話をしていました。


 


メジロは、体長12cm前後の大きさで、スズメより小さくて、体色は黄緑色です。名前の由来は、目の周りが白い縁取りの特徴からです。英語名でも「white-eye」です。ちなみに、野生のメジロの寿命は、3~5年、飼育のメジロの寿命は、7~8年と言われています。




メジロは、穏やかな性格ですが、人間に対して、少々の警戒心があります。たまに、今でも、メジロを見かけることもあり、飼育していた頃を思い出します。


 


父が、山から竹を取って来て、二本の止まり木(止まり木に立ったまま、眼を閉じて眠る習性があるため)を備えた鳥かごと、薄い鉄板のトタンで水浴場を作りました。エサは、大根の葉っぱを、すり鉢に入れて、すりこぎ棒でかき回しながらすり潰し、そこに、粉末にした大豆を加え、後は、水を入れて、少し軟らかめにして出来上がりです。春の町商店街に、大豆を持っていけば、粉末にしてくれる店がありました。当時の八百屋さんは、大根の葉っぱは、切り捨てて、大根だけを売っていましたので、大根の葉っぱは、八百屋さんから無料でいただいていました。


 


鳥かごの中にある小さな陶器の容器の餌箱の中に、毎朝、エサを入れてあげていました。メジロは、そのいつもの変わらない同じ餌を飽きもせず、毎日、年中、パクパク美味しそうに食べていました。また、夏や暖かい日には、鳥かごから、水を入れたトタンの水浴場に移して、水浴びをさせていました。メジロたちは、気持ちよさそうに、何度も何度も、トタンの中に入っている水の中に入って、羽をバシャバシャさせていました。全身ずぶ濡れ状態のメジロもいました。


 


たまに、父と一緒に、メジロを捕獲するために、山に出かけました。鳥かごに入ったままの良くさえずるオスのメジロをオトリにして、木の枝に引っ掛け、その近くの枝の皮を剥いで、その皮を剥いだ枝にトリモチを塗って、その枝に止まったメジロを捕獲しました。メスであれば逃がし、オスだけを捕獲しました。


 


メジロは、オス、メスどちらも「チーチー」と地鳴きします。仲間とのコミュニケーションや、警戒のために発する鳴き声です。しかし、「ピ-チュルチー」「チーチュルチーチュルチーチーチュルルルル」と鳴くさえずりは、オスのみが発する鳴き声です。自分の縄張りを主張するためや、メスへの求愛行動として鳴く場合もあるようです。そのさえずりの鳴き声が、甲高いきれいな澄んだ声で心地良かったです。メジロの乾燥したフン(臭い匂いはしない)は、手についた機械の油落としのために効果があって、時々、石鹸代わりに使用することがありました。


 


野生のすでに成長したメジロを飼育して、何年も声かけをし、エサを毎日上げ、水浴びもさせ、鳥かごの中のフンの片付けもし、きれいに鳥かごを掃除もして可愛がってきましたが、頭やからだをナデナデしようとしましたが、バタバタして、させてくれませんでした。それでも、たまに、鳥かごから水浴場に移す時、飛んで逃げるメジロもいましたが、長い間、飼育してきた関係で、そっと鳥かごを近づけて、「こっちに来なさい。鳥かごに入りなさい。」と声をかけると、鳥かごの中に入って戻ってきたメジロもいました。


 


野生のメジロを、ヒナから飼育したこともありました。口を大きく開けて、そこに、小さな木の棒で同じ餌をあげるとパクパク食べました。野生のヒナから飼育して成長したメジロは、頭やからだをナデナデさせてくれました。鳥かごから出しても、飛んで逃げることはなく、手の上に乗ってくれました。野生のすでに成長したメジロと、野生のヒナから成長したメジロに、どちらも同じように可愛がって接して来たにも拘わらずです。


 


しかし、バタバタする成長した野生のメジロも寿命が来るまで、野生のヒナと同じようにかわいがり接して来ました。飼い主である父と私が、愛を持って飼育する対象として、他にもたくさんいるメジロたちの中から選んだメジロだったからです。「飼い主の心、野生のすでに成長したメジロ知らず、でもそれでも、飼い主の心、野生のすでに成長したメジロに対して変わらず」である。


 


私がクリスチャンになって、天の父が、肉の父と私を用いて、メジロを養っておられたことを、次のみことばによって知るようになりました。マタイ6:26節「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず。倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。」


 


そして、鳥よりも価値ある者としてクリスチャンとなった私を養ってくださっておられることを知りました。


 


聖書では、神様と私たちの関係は、飼い主(羊飼い)と羊で例えられています。飼い主なる主は、十字架(血)による贖いと復活において、この世の世界から愛の対象者として全世界に多くの人々がいる中で、私たちを羊として選んでくださって、神の国の愛と恵みの世界の中に移してくださったのです。


 


神の国の愛と恵みの世界の飼い主なる主を、少々恐れてバタバタしているクリスチャン羊であっても、その主に近づくことを恐れないクリスチャン羊であっても、どちらも神様によって選ばれた者であり、神様の御手からくる全ての恵みを受けて、日々、神様に愛されて養われていることを覚えていたいものです。詩篇23編「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに 私を義の道に導かれます。たとえ 死の陰の谷を歩むとしても 私はわざわいを恐れません。あなたが ともにおられますから。あなたのむちと杖 それが私の慰めです。私の敵をよそに あなたは私の前に食卓を整え 頭に香油を注いでくださいます。私の杯は あふれています。まことに 私のいのちの日の限り いつくしみと恵みが 私を追ってくるでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。」


 


聖歌332番「飼い主なる主よ か弱き我を 導き給えや 草繁る野に イエス君 イエス君 わが飼い主よ 飼わるるわが身は 永久に汝がもの」「悪しき者の手を 押し返しつつ 迷いの道より 連れ帰り給う イエス君 イエス君 受け入れ給え 飼わるるわが身の求むる声を」「み恵みによりて 心清くし みちかい(約束)のごとく 御手に受け給う イエス君 イエス君 幼き日より 飼わるるわが身は 世にも(とりわけ、いかにも)幸なり」「幼き時より 君の手に帰し 豊けき恵みに 浴し(受ける)続ける イエス君 イエス君 愈よ(愈愈、いよいよ、一層、益々)汝が愛 飼わるるわが身に 注がせ給え」


 


飼い主なる主の十字架(血)の贖いと復活を信じる信仰によって羊として選ばれて、神の国の愛と恵みの世界に移された私たち羊を愛する対象として、喜びの対象として、私たち羊を日々養っていてくださる、飼い主なる主のいつまでも変わらない愛と、いつくしみの心に対して。


 


おまけの話


 


この恵みの分かち合いを終えて、先ほど、散歩に出かけましたが、何と家の近くにある自動販売機の前の路上のタイルに描かれているメジロに出会うことが出来ました。今まで、何度も歩いていた路上でしたが、気がつきませんでした。神様から、「ほら、あなたが飼っていたメジロがここにいるよ」と言われているようでした。ここにも、神様の優しい心を感じます。


 


ハレルヤ!

 
 
 

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