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11.主からの最初の派遣先である小樽の教会における懐かしい思い出(11)

前回からの続きです。


 


しばらくして、F教会にて、お見合いの時が持たれましたが、由起子姉から、「先生より、私の方が体が大きいのですが、何ともお思いになられませんか」と聞かれ、「何とも思いませんと言うなら、それは、嘘になります」と答えたのです。


 


このことでも、主のお取り扱いがありました。「あなたは、体の大きさと結婚するのですか」と、「いいえ、その人自身と結婚します」と答えたのを覚えています。


 


このまま、スムーズに、とんとん拍子に、結婚まで導かれるのかと思いきや、そう簡単には、事は運ばなかったのです。


 


まず、神学校校長のТ師が反対され、そして、由起子さんの母教会のM姉(私と同じ神学校の後輩)も反対されたのです。


 


当時は、キリスト教会の福音派と聖霊派(カリスマ派、ペンテコステ派)は、対立関係にあり、実際は、私は、聖霊様に飢え渇きの心を持った福音派の牧師であったのですが、


 


聖霊の賜物である異言を語ったり、癒しの働きをするカリスマ派の牧師と誤解されていたように思います。


 


現在は、福音派と聖霊派の垣根は取り除かれて、様々な超教派の集会に、互いに出席されて、互いに、謙遜に学び合っていることは感謝なことです。


 


そのように、私がカリスマ派の牧師であることを、由起子さんは知っているのだろうかと、由起子さんへの配慮からであったと思われます。


 


ただ、以前に、証しさせていただいたように、神学校に入学する2年前から、トータルで5年間の歳月にわたる一連の聖霊様のお取り扱いと、聖霊様の満たしの恵みを受けたことで、更なる聖霊様に対する飢え渇きの心があっただけのことであったのです。


 


神学校の卒論のテーマである「聖霊の満たし」の原稿を提出後の面接の時、神学校の前校長であったS師は、「良い学びができましたね」と、理解と受容を示していてくださっていたのです。


 


また、私が体験した聖霊様体験を認めて、受容してくださり、理解してくださって、神学校でのある時間に、前校長のS師は、私に賛美集会のリードをするようにと言ってくださったこともあったのです。


 


その当時、反対したM姉も、その後、米国人のクリスチャンの方と結婚されて、米国での生活と、様々な米国の教会の礼拝に出席する中で、現在、聖霊様に対して開かれていることは、感謝なことです。


 


神学校校長のТ師と、由起子さんと同じ母教会のM姉の他に、更には、由起子さんの青森のお父様が反対されたのです。


 


反対の理由は、牧師の妻ともなれば、貧しい生活を強いられることになることで、娘の生活を、慮り(おもんぱかり)の気持ちから出ていることであったことでしょう。


 


更に、娘夫婦に、青森の実家近くに住んでもらい、孫たちとの交流を楽しみにしていたことなどもあったと思います。


 


それらの方々が反対することは、私にとって、台風の暴風雨のような出来事事のようであったのです。


 


「私は、今まで、自分の都合の良いように、自分勝手に導きだと言ってきたのではないか」と、疑いの思いが生じるようになったのです。


 


それで、「創世記2:22節以外のみことばをもって、神様の回答を与えてください」と、再度、主に祈り求めたのです。


 


すると、


 


次回に続く


 


ハレルヤ!

 
 
 

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