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11.船舶生活での懐かしい思い出(11)ー20年以上前の罪が示されたエピソードー

私が牧師になって30代後半の頃、ある教会の集会において、20年以上前の罪が、聖霊様によって示されたという内容のS牧師の証しを聞いたことがありました。私は、その時は、「そんな昔の罪のことを、聖霊様が示されるという、そういうこともあるのか」と思って、他人事のように聞いていました。ところが、しばらくして、私にも、イエス様をまだ信じ受け入れていない時の罪が示されたのです。それは、私が、船舶生活をしていた時の罪でありました。まさしく、聖霊様によって示された20年以上も前の罪であったのです。


 


それは、私が小六の時のことでしたが、銀玉のピストル遊びが流行した時がありました。船舶の子どもたちが、ピストルを購入して遊んでいました。自分もピストルが欲しいと思いましたが、「買って」とは、親には言えませんでした。また、「言っても、買ってはくれないだろう、無理だろう」と思っていました。というのは、以前に、四女の三子姉さんが中学生の時、「数学のノートを使い切ったので、新しいノートを買いたいので、10円頂戴」と母に言うと、「最初から消しゴムで消して、その古いノートを使いなさい」と、四女の三子姉さんと母のやり取りの現場を、私が5歳の頃に目撃したからです。この時、「僕の家庭は貧しいのだなぁ」ということがわかった瞬間でした。だから、たとえ、自分が欲しいものがあったとしても、「親には頼んではいけない。お願いしてはいけない。親に迷惑をかけてはいけない。辛抱しなければならない。我慢しなければならない。遠慮しなければならない。」という否定的な思いが入ったように思います。


 


感謝なことですが、後になって、このことが、神様との関係にも影響を及ぼしていたことを、聖霊様と、みことばによるカウンセリングの「エリヤハウス」の学びを通して気づかされるようになったのです。


 


でも、この時どうしても、この銀玉のピストルが欲しかったのです。100円で買えたと思いますが、友だちが自分のものを50円で売ってくれるということになったのです。小六の私は、母がタンスの一番上の引き出しに、いつもサイフを入れているのを見ていたので、サイフのある場所は知っていました。それで、その部屋に誰もいなくて見ていない隙に、すばやく、母のサイフから50円を盗んだのです。そして、そのお金で友だちのピストルを買ったのです。買った後、隠しながら遊んでいました。そして、母に見つかって、「このピストルどうしたの」と聞かれた時は、「友だちからもらった」と嘘をつきました。つまり、直接的には、出エジプト記20:15節の第八戒「盗んではならない」と、16節の第九戒の「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない」の罪を犯したことになります。しかし、12節の第五戒の「あなたの父と母を敬え」と、17節の第十戒の「あなたの隣人の家を欲してはならない」の罪にも関わっているようにも思えます。


 


不思議なことですが、この時は、何の葛藤もなく、聖霊による自由な心と思いによって、母に正直に手紙を書くように導かれたのです。しかし、ある罪に関しては、罪を認めようとせず、反発し、自らを義とし、自己正当化し、責任転嫁するなど、意固地になり、頑なになる時もあります。だから、人は自分の意志だけでは、決して悔い改めることができないものです。最終的には、思い通り願い通りにならない環境、状況、さまざまな試練を用いて、神のいつくしみ深さが悔い改めに導いてくださるのです。参照:ローマ2:4節「それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。」


 


母は、義務教育を受けていなかったこともあって、カタカナしか字を読むことができなかったので、カタカナで手紙を書きました。「カアチャンヘ。カミサマカラ、コドモノトキノ ツミガ シメサレマシタ。カアチャンハ シラナイト オモイマスガ、フネデノ セイカツヲ シテイルトキ、 トモダチノ ピストルガホシクテ、 タンスノ イチバンウエニアッタ カアチャンノ サイフカラ、 ゴジュウエンヲ ヌスミマシタ。ユルシテクダサイ。ヌスンダ ゴジュウエンヲ ドウフウシマシタ。」という内容の手紙を、50円を同封して送ったのです。


 


しかし、手紙は確かに届いたはずなのに、母からの返信の手紙は来なかったのです。そして、私が母に電話した時もありましたが、このことに関しての話題には、母は一切触れることはなかったのです。そして、母は家族の誰にもこの私の罪を話すことなく、秘密にしたまま、内緒にしたまま、口をつぐんだまま、21年前(2002年)88歳で召されました。私が、このことを話さなければ、未だに、長男、次女、三女、四女、五女の誰も知らないことなのです。


 


これは、イエス様が、母を通して(用いられて)、私と私の罪に対するご自身の態度を現わしておられることであり、そのように接してくださっていること、関わってくださっていることであると信仰によって受け止めています。それは、また、私の母に、私の罪を赦す権威があるのではなく、イエス様のみが、十字架で、からだを裂かれ、血を流されたことによって、また、三日目に復活されたことによって、私の罪を赦す権威がある方です。参照:マルコ2:10節「しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るためにー。」


 


さらに、イエス様が、母を通して(用いられて)、次のみことばの真実を、私に明らかに証しされていることとして信仰によって受け止めています。マルコ2:5節「子よ、あなたの罪は赦された」、ヨハネ8:11節「わたしもあなたにさばきを下さない。」、ローマ4:7~8節「幸いなことよ、不法を赦され、罪をおおわれた人たち。幸いなことよ、主が罪をお認めにならない人。」、イザヤ43:25節「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」、エレミヤ31:34節「わたしが彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ(現代訳では、彼らの罪を二度と思い出さない。)」、ヘブル8:12節「わたしが彼らの不義にあわれみをかけ、もはや彼らの罪を思い起こさないからだ。」、ヘブル10:17節「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない。」


 


自分でも忘れて思い出すこともなく気づかないでいる罪を示してくださる聖霊様。罪を正直に認めさせ告白させてくださる聖霊様。イエス様の十字架(血)を仰ぐようにされる聖霊様。示された罪が、十字架(イエス様の裂かれたからだと流された血)と復活によって、すでに赦されている(た)ことを思い起こさせてくださる聖霊様。「罪は赦された。罪のさばきは下さない、罪は覆われた、罪を認めない、罪をぬぐい去る、罪を思い出さない、罪を思い起こさない、罪を二度と思い出さない」という神の約束のみことばを、心と思いと耳と目に留めさせてくださる聖霊様に。


 


ハレルヤ!

 
 
 

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