12.主からの最初の派遣先である小樽の教会における懐かしい思い出(12)
前回からの続きです。
「私は、今まで、自分の都合の良いように、自分勝手に導きだと言ってきたのではないか」と、疑いの思いが生じるようになったのです。
それで、「創世記2:22節以外のみことばをもって、神様の回答を与えてください」と、再度、主に祈り求めたのです。
すると、
イザヤ45:23節の2017年版の新改訳聖書では、「わたしは自分にかけて誓う。ことばは、義のうちにわたしの口から出て、決して戻ることはない。」と、訳されていますが、
以前の第三版の新改訳聖書の訳である「わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、決して、取り消すことはできない。」との、みことばによって、神の回答が与えられたのです。
つまり、創世記2:22節の「神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、人のところに連れて来られた。」という、主の口から出たこのことばは正しく、決して、取り消すことはできないことばだと語られたのです。
つまり、「わたし(神様)が、由起子さんを、あなた(私)の所に連れて来られたと言うことには変わりがなく、それは正しいことであり、決して取り消すことはできない。」と、語ってくださったのです。
「では、このような反対の台風のような大暴風雨の出来事の真相は、何ですか。どのような、あなたのみこころがあるのですか。どういう意図、目的があるのですか。」と、神様にお尋ねしますと、
しばらくして、Ⅰペテロ5:10節「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、
あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」との
このみことばを持って、様々な方々が反対する台風のような大暴風雨の出来事の真相、神のみこころ、意図、目的を、このように解明してくださったのです。
それは、マタイ19:6節に、「ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」と、聖書のみことばにありますように、
一つ目の真相、神のみこころ、意図、目的は、どのような社会的な立場、身分の人であっても、また、どのような教会的な立場、身分の人であっても、「神が結び合わせたものを人が引き離してはならない」ことを、私に教えることであったこと、
更に、二つ目の真相、神のみこころ、意図、目的は、今後、長い期間にわたる結婚生活、夫婦生活をしていく上において、私と由起子さんとのお互いの関係において、台風のような大暴風雨が襲ってくるような、どんな危機的状況、境遇に陥ったとしても、
「神が結び合わせた二人なのだ」と、荒波の中で揺れ動く船を守る錨の役のように、堅く立たせ、強くし、不動の者とさせるためであったことを、予め、私に知らせることにあったのだと解明してくださったのです。
そして、このような出来事の真相、神のみこころ、意図、目的が示されるや否や、由起子さんのお母様から、由起子さん経由で、お父様が、私に会っても良いと、つまり、結婚の許可が与えられたのです。
そして、更に、その当時、私が所属する群れの先輩牧師で、私と同郷の北九州市出身で、同じ小学校を卒業され、私と同じ神学校を卒業され、後に、同神学校の校長に就任されたY師から、私たちの結婚式の司式をしてくださるとの電話連絡があったのです。
つまり、様々な方々が反対する台風のような大暴風雨に対する真相、神のみこころ、意図、目的が、明らかに示されてから、とんとん拍子に事が運ばれていったのです。
そして、小樽にある別の教会をお借りして、Y師の司式の下、結婚式が導かれ、その後、場所を変えて、披露宴を行ったのです。
神様は、このようなプロセスを通して、私と由起子さんとの結婚に至るまで導いてくださったのです。
ハレルヤ!
(おまけの話)
一般的に、恋愛結婚した方々は、まだ、独身、未婚の方々に、「恋愛結婚が良いよ」と助言し、お見合い結婚した方々は、「お見合い結婚が良いよ」と助言することばを何度も聞いてきました。
どちらとも良いと思います。
でも、聖書的、聖書のことばに基づくなら、「神が結び合わせたもの」が良いのです。つまり、「神が結び合わせた恋愛結婚」、「神が結び合わせたお見合い結婚」が良いということです。
ですから、独身者、未婚者から、私に結婚に関して質問、助言を受けた時には、私は、「神が結び合わせた方との出会いの導きを祈り求めてください。」と助言をすることにしているのです。
付け加えさせていただくなら、たとえ、現在、イエス様を信じていない人同士の結婚の場合であっても、
また、片方の方が、結婚してからイエス様を信じてクリスチャンになって、伴侶が、まだ、ノンクリスチャンであったとしても、
現在、結婚に至っているという事実、現実において、「神が結び合わせたもの(神が結び合わせたお二人)」なのです。
ハレルヤ!
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