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13.船舶生活での懐かしい思い出(13)ーチャッカー(小型船)の使用目的の違いで異なる感覚のエピソードー

最初のチャッカー(小型船)は、6馬力のディーゼル・エンジンでした。ハンドルを片手で、勢いよく回しながらエンジンをかける手動式なので、ある程度、腕力がないとエンジンをかけることはできませんでした。


 


しかし、ようやく、私は小五の時になって、初めて片手で勢いよくハンドルを回してエンジンをかけることができるようになりました。それまでも、何度となくチャレンジしてきましたが、できなかったことなので、飛び上がるほど非常にうれしかったことでした。


 


チャッカーは、自家用車に相当します。法的には無理ですが、もし、小五の子どもが、自家用車のエンジンをかけて運転できたら最高の気分でしょう。私は小五の時に、その最高の気分を、小型船のチャッカーで味わったのです。


 


当時の水上警察の巡視船は、めったに、洞海湾を巡視することはなく、また、現在の陸上警察のパトカーや白バイのような厳しい取り締まりとは違って緩く、当時は、船舶生活者においては、チャッカーは必需品なので、大人だけでなく、子どもでも、無免許でチャッカーの操縦が暗黙の内に許されていました。八幡製鉄所構内で働く労働者、及び、船舶生活者に付与される門艦(もんかん)を持っているかどうかの方がより重要なことでした。


 


早速、母にチャッカーに乗船してもらい、自分が10分位操縦しました。その時、母は少々不安で、おっかなびっくりの気持ちで乗船していました。とにかく、自分がエンジンをかけて操縦したくてたまらなかったのです。それは、自分の個人的な楽しみの目的でした。


 


私が中学生になった頃には、両親は一時期、二隻のはしけ船(その内の一隻は、父の個人所有の持ち船でした)で荷役の仕事をしていました。中一の夏休みの時に、一隻のはしけ船の荷役の仕事が入ることになりました。そのはしけ船に両親が乗って、タグボート(はしけ船にはエンジンがないため、目的地までロープで引っ張って誘導する小型船)に曳かれて、3日間位の荷役の仕事に出かけることになりました。


 


その時、父から、「おまえは一人で、もう一隻のはしけ船(持ち船)にとどまっていなさい。お米は渡すから、自分でガスコンロを使って炊きなさい。そして、おかずなどの食料品は、近くにある売店で買って食べなさい。そして、もし、そのはしけ船の荷役の仕事が入ったら、親戚のおじさんに手伝ってもらうように頼んでおいたから、その時は、おまえがチャッカーで、はしけ船を曳いて、おじさんに、はしけ船の舵をきってもらうといいから」と指示を受けました。


 


すると何と、そのはしけ船の荷役の仕事が入ったのです。早速、親戚のおじさんのところに行って、助けをお願いしました。そして、父の指示通りに、私がチャッカーで、はしけ船を曳いて、おじさんに舵をきってもらって荷役の仕事をしたのです。


 


今思うと、はしけ船の荷役の仕事ができるように、私を訓練するために、父は、事務所の人に、そのはしけ船の荷役の仕事が入るようにお願いしていたのかも知れません。


 


この時のチャッカーの操縦の目的は、自分の楽しみのためではありませんでした。はしけ船の荷役の仕事をすることが目的でした。それは、取りも直さず、両親の仕事のお手伝い、手助けとなることをすること、両親に仕えることが目的でした。


 


そして、両方とも体験して分かったこと、感じたこと、気づいたこと、知ったことは、自分の楽しみを目的とするために、チャッカーを操縦している時は、ただ楽しいだけでしたが、両親の仕事の手助けとなることをすること、両親に仕えることを目的とするためにチャッカーを操縦している時の方が、楽しさを上回る、より大きな満足感と充実感、生き甲斐を感じたということでした。それは、存在目的DOINGに関わることです。


 


聖書は、神ご自身は、私たちの存在そのものであるbeingを、無条件に愛していてくださることを、イエス様の十字架で表しておられます。聖霊様とみことばを通しての交わりを通して、beingがますます強められ、満たされていく恵みにあずかることができます。幸福感は、所有にはなく、関係にあります。


 


しかし、満足感、充実感は、神からの使命に生かされることからもたらされるのです。


 


自分一人で、はしけ船の荷役ができなくて、親戚のおじさんに助けを求めたように、私たちも、助け主聖霊と、他の兄弟姉妹とのチーム関係、共同体で関わりを持って、父なる神の仕事に仕える時、何とも言えない満足感と充実感を味わえるのです。


 


エペソ2:10節「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださいました。」


 


ハレルヤ!

 
 
 

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