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14.主からの最初の派遣先である小樽の教会における懐かしい思い出(14)

14.主からの最初の派遣先である小樽の教会における懐かしい思い出(14)


 


小樽の教会では、日曜日と月曜日を除く毎朝午前5時から早天祈祷会を行っていましたが、教会の役員のM兄の奥様のM姉は、自宅を午前4時半頃出られて、お子さんのS君をおんぶされて、出席されていました。


 


雪の降る寒い冬にも、忠実に欠かさず出席されていました。冬の時は、私は、1時間前の午前4時に起床して、一階の礼拝堂に降りて行って、ストーブをつける必要がありましたが、


 


M姉が、玄関の戸を開ける音が聞こえて、目を覚まし、寝過ごして慌てる時も何度かありました。


 


また、毎週の水曜日の午後7時から9時までの祈祷会に、教会の役員のM兄ご夫妻は出席されていましたが、ある時から、M兄が、他の兄弟姉妹方が帰られた後、


 


「先生、まだ、祈りましょう」と言われて、更に2時間追加して、午後11時頃まで祈りの時を持っていたこともありました。


 


神様は、このM兄ご夫妻を通して、私に、祈りを鍛えてくださったのです。


 


また、教会の役員の一人であるY兄は、ある時から、毎週土曜日の午後7時頃、仕事を終えて、一階の礼拝堂の講壇の前で、日曜日の礼拝の祝福のために、一人で1時間の祈りをささげるようになったのです。


 


小樽の教会で、様々な聖霊様のみわざが起こったことを、以前に分かち合いましたが、このような目立たない背後の隠された兄弟姉妹方の祈りが、積み上げられていたからです。


 


教会員の大多数の者たちが、聖霊様に対する飢え渇きの心を抱くようになった頃でした。教会の役員の一人のY兄から、「先生、この所属する群れから離れて、独立しましょうよ。」という提案を受けたのです。


 


そのことを提案するように至るまでの、聖霊様の働きに対して反発する幾つかの出来事が、教会の内外にあったからです。聖霊様が強く働くと、人間の利己的性質が反発し、敵対勢力のサタンも強く働くからです。


 


それで、神の御前に一人静まり、神のみこころ、神のみ思いを求める時を持つようになったのです。


 


「聖霊様、この所属する団体と群れから離れて、教会が独立することは、如何でしょうか。」と尋ねました。


 


この私の問いかけに対して、聖霊様は、「誰が、この教会の開拓を開始されたのですか。」と、聞き返されましたので、「私は、Оの宣教団体です。」と答えました。


 


すると、聖霊様は、「この教会は、Оに属する教会だから、離れて独立することは、わたしのみこころではない。」と示されたのです。


 


では、「この教会は、このまま、Оの宣教団体の所属として残し、聖霊様に飢え渇きの心と思いを持っている兄弟姉妹たちと一緒に、この教会と、Оの宣教団体から離れて、別の集会場所を探して、礼拝や集会を持つことは、如何でしようか。」と尋ねたのです。


 


私の肉の思い、願い、望みは、聖霊様に飢え渇きの心と思いを持っている兄弟姉妹たちと一緒に、別の場所で礼拝や集会を持つことにあったのです。


 


この私の問いかけに対しては、「あなたは、ずっと、この小樽の教会で牧会をするつもりですか。もし、わたしが、あなたに、小樽以外の別の場所の教会に行きなさいと言うなら、この残された兄弟姉妹たちは、誰が牧会するのですか。」と、また、聞き返されたのです。


 


まさか、自分が、小樽の教会以外の別の場所の教会で、牧会するように導かれるようになるということは、この時点では全く考えても見なかったことであったのです。「ああ、これも、神のみこころではないな。」と察したのです。


 


「では、私一人が、この所属する群れと、教会から離れることは、如何でしょうか。」と、聖霊様にお聞きすると、これが、一番、面白い回答でしたが、「今、あなたが行く所の教会は、どこかあるのですか。」でした。私は、行く所の教会が、どこにもなかったのです。


 


最後に、「では、今のこのままの教会の状態で、牧会を続けるべきですか。」と尋ねましたが、このことに対しては、何の返答も、回答もなく、沈黙であったのですが、これが、神のみこころ、神の御思いであることを察することができました。


 


自分の肉の思いでは、これが一番、嫌なこと、避けたいことで、望まない選択であったのです。


 


ヨハネ21:18節に「まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし、年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」と、ある通りです。


 


しかし、神のみこころが示されたので、聖霊様の導きに従う恵みをいただき、その状態に留まることにしたのです。


 


そして、小樽の教会に赴任してから3年後に、一人のОの宣教団体のドイツ人宣教師のL師と、同じ群れに属する一人の日本人牧師のM牧師の二人から、牧師按手の恵みを受けたのです。


 


この牧師按手を受けていたことが、後々、派遣される国立の教会で仕えるためには、必須なことであったのです。


 


ハレルヤ!

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