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すべて表示小樽の教会の役員の一人に、M兄がいました。M兄は、私と同じ神学校卒の先輩で、以前には、北海道西部、積丹半島の北東側に位置する古平(ふるびら)町で、開拓伝道をされていましたが、その当時は、信徒として、謙遜に、主と小樽の教会に仕えていました。 現在は、札幌にある、ある教団の二つの教会の兼任牧師として奉仕をしています。 M兄は、当時、家業の魚屋に勤めておられ、日曜日を除いて、午前4時から午後1時まで仕事
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前回の文章から再開します。 このことがあって以来、牧師の召命感の問題で悩むことはなくなったのです。聖書のみことばと、聖霊様の語りかけによって、解決されたからです。 このことから、未解決の問題は、自我の思い、肉の思い、自問自答では、決して解決しないこと。 神様に問いかけ、神様からの答えである、聖書のみことばと、聖霊様の語りかけをいただくこと、神問神答で、未解決の問題は、最終的に、終止符を打つことを学
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前回の最後の文章から再開します。(前回の最後の文章に加筆をしています) そのように(私は、牧師として、本当に召されているのかということに)悩むようになった要因の一つは、北海道の神学校の教師や、外部から来られる講師などの先輩牧師と比較して、自分のあらゆる面における能力のなさ、足らなさ、貧しさを覚えることから来ているものでした。 それと、もう一つは、神学校において、聖霊様とみことばによる、様々な一連の
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