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2.私が名古屋のキリスト教書店から、北海道の神学校に入学するまでのプロセス(2)

前回からの続き

 

そして、2月末に飛行機に乗って、人生で初めて北海道に行ったのです。札幌にある神学校に行って、入学試験の筆記試験(聖書知識と、一般常識「英語と作文」)と面接に臨んだのです。4月から25歳で神学校に入学できるものだと疑わずに信じて。

 

ところが思いもよらぬことが起こったのです。午前中の筆記試験を終えて、昼食をし、午後からの面接の時を迎えました。面接官は、神学校の校長のS先生と、教師兼牧師のТ先生、H先生、K先生の4人でした。

 

校長のS先生から、「若木君、あなたは、午前の筆記試験の「聖書論について見解を述べよ」ということに関して、あなたが回答したことを本当にその通りだと思っているのですか。そのように信じているのですか。」と問われたのです。

 

実は、この当時、聖書論に関して、福音派と呼ばれるキリスト教会で論争になっていたのですが、私は、そのことに関して全くの無知であったのです。私は、私が勤めていた会社から出版されていた、ある教団の名の知れたS先生の書籍をすでに読んでいたのです。そのS先生は、聖書の注解書の著者でもあり、また、翻訳した書籍もあり、学識に富んだ先生であり、その教団のトップに属する先生でした。なので、そのS先生の聖書論の見解が正しいものと信じて書いたのです。ところが、そのS先生の書かれた書籍の聖書論の見解こそが、問題視されていたのです。つまり、福音派と呼ばれるキリスト教会と、私が入学しようとする神学校の見解と相容れない立場の見解であったのです。一言で言うなら、旧約聖書と新約聖書に対する神の霊感に関する見解の相違であったのです。

 

旧約聖書と新約聖書全体は、原典(ヘブル語で書かれた旧約聖書と、ギリシャ語で書かれた新約聖書)において、一言一句、全てにおいて、神の霊感によって記されているという立場の見解と、そうではなく、一言一句ではないという立場の見解の相違であったのです。私は、そのことを何も知らず、S先生の後者の一言一句ではないという立場の見解を、聖書に照らして注意深く考えもせず、鵜呑みに信じて書いたのです。

 

そして、S校長先生から、「この聖書論に関して良く考え、学んで、来年、また来てください。出直してください。」と告げられたのです。非常に落胆し、砂を嚙むような気持ちになりました。「今晩は、神学校に宿泊できますよ」と、言われましたが、宿泊する気にはなれませんでした。心の整理をするため、千歳空港付近の全日空ホテルで一泊し、名古屋に戻ったのです。

 

この時点では、気持ちが落ち込み、塞ぎ込む状態でありましたが、この挫折が、後になって、神様の祝福に繋がっていくことに気づいていなかったのです。

 

私たちは、長い人生において、様々な挫折と、苦しみや悩みを通されることでしょう。その時は、がっかりすることも、落ち込むこともあるかもしれません。しかし、大切なことは、その挫折と苦しみと悩みの体験を、ただ、挫折、苦しみ、悩みのままで終わらせてはいけないのです。その挫折体験、苦しみ、悩みを、自分にとって、「聖霊様とみことばによる黙想の営みによって、幸せに変換していく作業」が必要なのです。

 

詩篇119:71節に、「苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。」と、ある通りです。

 

この挫折体験は、次のことを私に教える幸せとなる教訓となったのです。

 

使徒17:11節に、「この町(ベレア)のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直(良い人たち)で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。」と記されています。

 

このベレアのクリスチャンたちは、使徒パウロの語ったことばを鵜呑みにせず、聖書に照らし合わせて、調べて、本当にパウロが言ったことは、聖書(神様)が言っていることと同じかどうかを吟味していたというのです。それも、確かな神様からの確信を得るまで、毎日聖書を調べたのです。

 

パウロ自身が、今まで、人間であるラビ(聖書教師)からの教えを間接的に聞いて、鵜呑みにして信じていたことがあったことから、十二弟子に選ばれた使徒たち、信仰の先輩者であるペテロやヨハネやヤコブと言えども、人間には変わりはなく、彼らからの教えも間接的に聞くことをせず、アラビア(復活されて、今も生きておられるイエス・キリストを校長とするアラビア神学校)に赴き、三年間、直接、復活されて、今も生きてられるイエス・キリストと、御霊からの啓示を受けて、聖書(神様)を理解したのです。

 

参照:ガラテヤ1:11~12節「兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間から受けたのではなく、また、教えられたのでもありあせん。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。」

 

ガラテヤ1:15~17節「しかし、母の胎にあるときから私を選び出し、恵みをもって召してくださった神が、異邦人の間に御子の福音を伝えるため、御子を私のうちに啓示することを良しとされたとき、私は血肉に相談することをせず、私より先に使徒となった人たちに会うためにエルサレムに上ることもせず、すぐにアラビアに出て行き、再びダマスコに戻りました。」

 

そのように、パウロは、ベレアの教会の聖徒だけでなく、他の地域の教会の聖徒たちにも、直接、復活されて、今も生きておられるイエス・キリストと、御霊からの啓示を受けて、聖書(神様)を理解するようにと、そのように勧めていたと考えられます。

 

エペソ1:17~19節に、「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。また、あなた方の心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、また、神の大能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」とあるからです。

 

私は、ベレアのクリスチャンとは異なっていたのである。名の知れた先生の書かれたものの本や、メッセージで言われたことであれば、間違いはなく、大丈夫だろうと思って、鵜吞みにして信じていたのです。

 

特に気をつけなければならないことは、日本だけでなく、全世界のキリスト教界で名の知れた牧師のメッセージや書籍、また、いつも、自分がお世話になっている方々や他教会も含む牧師や宣教師や伝道師、自分が信頼を置いている方々や他教会も含む牧師や宣教師や伝道師、自分の好みで気に入っている方々や他教会も含む牧師や宣教師や伝道師たちのことばや、書籍や、ユーチューブを含むメッセージです。

 

今までの人生を振り返って見ると、私が、牧師になってからでも、何度も経験があります。牧師や宣教師や伝道師を、リスペクト(尊敬)する気持ち、感謝する気持ち、信頼する気持ちは大切ですが、また、好みは持ったままで良いのですが、だからと言って、鵜呑みにしてはいけないということです。

 

人間である以上、誰一人、完全に間違いのない正しい人は、一人もいないからです。父なる神様、御子なるイエス様、聖霊なる神様と、そして、三位一体の神様のことばである聖書だけが、唯一、間違いはなく、真理であり、正しいからです。唯一、私たちが真理か偽りかを判断することの基準は聖書のみであるからです。

 

つまり、私たちが心がける必要があるということは、復活されて今も生きておられるイエス・キリストと、御霊の啓示によって、神直接、イエス・キリスト直接、聖霊直接から、聖書を教えていただくという姿勢が重要であるということです。神に直接お聞きしながら黙想をしながら、聖書を教えていただくという姿勢です。

 

そして、私は、復活されて今も生きておられるイエス・キリストと、御霊の啓示を求めて、自分で聖書を調べることで、聖書は、すべて、原典において、一言一句、旧約聖書も新約聖書も神の霊感によって書かれていることを、次の聖書のことばによって受け取ったのです。

 

Ⅱテモテ3:16節「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」

 

「すべて」ということばの中に、一言一句も含まれていると理解しています。

 

Ⅱペテロ1:20~21節「ただし聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言(聖書)は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。」

 

「(聖霊に動かされた人たちが)、(同じ)神から(直接)受けて語ったものです。」ということばの中に、一言一句も含まれていると理解しています。

 

ハレルヤ!

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