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3.主からの最初の派遣先である小樽の教会における懐かしい思い出(3)

前回の文章から再開します。

このことがあって以来、牧師の召命感の問題で悩むことはなくなったのです。聖書のみことばと、聖霊様の語りかけによって、解決されたからです。

このことから、未解決の問題は、自我の思い、肉の思い、自問自答では、決して解決しないこと。

神様に問いかけ、神様からの答えである、聖書のみことばと、聖霊様の語りかけをいただくこと、神問神答で、未解決の問題は、最終的に、終止符を打つことを学ばされたのです。

そう言えば、

神学校を入学するのに、一年出直しになった時でも、一時は、非常に落胆し、落ち込んだが、しかし、そのことで挫折したまま、心折れたままで、「もう、神学校に行くのはやめよう」という思いは一切ありませんでした。

人間的には、一年出直して、神学校に入学することに対して、冷めた思いが生じて、あきらめる気持ちが起こっても良かったのですが、そんな気持ちを一切、抱くことはなかったのです。

むしろ、新たな気持ちで、次の年の再受験に臨もうとする前向きな姿勢が、一年間継続してあったことを思い出すのです。

神の御霊の働きかけ、神の恵みによる導き以外には考えられないことです。

また、神学校を出て、牧師になったものの、途中で、金銭問題や、性的問題などのスキャンダルや、燃え尽き症候群、鬱病などの精神的、心の病で、牧師職から離れざるを得ない牧師たちもいる中で、

(でも、そのことさえも、秘められた、隠された神様の愛と赦しと恵みとあわれみの御手の中、摂理の中、ご計画の中にあることですが)

神学校に入学するのに、一年間待って、出直しをした26歳の時から、そして、小樽、横浜、多摩、国立、江戸川での住居と、主からの派遣先の教会を転々とし、

勿論、楽しい時も、嬉しい時も、喜びの時も、感謝な時も、十分必要が満たされた恵みの時も当然ありましたが、

しかし、貯金が全くなくなり、ある月、アルバイトの仕事を通して得た給料だけでは必要経費が全く賄えなくなり、みじめで、恥ずかしい事実の話ですが、新聞代金さえ支払えなくて、

そろそろ、集金に来られる頃ではないかと思い、部屋の全ての電灯を消して、居留守を使って、由起子さんと一緒に、不安と心配の心を抱きつつ、ただ主に祈って頼ることしか救いはなかった経済的困窮からくる生活の極度の苦しみの時、

夫婦関係の不和の問題からくる自我の激しい葛藤のうめき苦しみの時、子どもたちの抱えている問題で、心悩まされたうめき苦しみの時、教会分裂からくる不協和音により、

霊、心、魂、からだの全人格的に、何とも表現できない、ドンと重く圧し掛かるうめき苦しみの時、

そして、そのような対人関係において、加害者として人の心を傷つけ、被害者として受ける傷ついた心、それに伴う、罪意識と、怒りと憎しみと赦せない激情の思いをどうすることもできない全く無力なみじめな苦痛の時、

燃え尽き症候群、鬱病という心の病からくる、深くどん底に落ち込み、希望の光が全く見えない暗黒の絶望感を抱き、自殺の考えさえもよぎった時、

笑顔が消え、生気のない憂鬱な顔と無表情の時、不安を煽る、癌ではないかと思わされるような早い速度で8キロ体重が減少した時、

食事がある期間、わずかしか摂れない食欲不振の時、夜10時を迎えると、寝床に入る時間が来たのに、眠れない夜を過ごすため、夜の恐怖を伴う睡眠障害に悩まされた時、

そのような、生活、肉体にまでも影響を及ぼす霊的、精神的苦痛などを通されるという、ことばでは、到底、言い表すことのできないほどの辛い、耐え難い、凄まじい試練や、苦難を通されている最中に、牧師そのものを辞めれば良いのに、

辞めて、楽になれば良いのに、楽をすれば良いのに、辞めないでいる自分、楽をしようとしない自分に、自分が一番驚いているのです。

Ⅱコリント4:8~9節に「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。」とある通りです。

40年間、主の御名の栄光を現わすことよりも、主の御名を辱めることの多い者である私を、今もなお、牧師としての働きを続けさせられているのは、

ただ、ただ、絶対的主権者であられる神様の選びと、

力強い御手の内にある守りと支えによる神様の保護と、

イエス様の十字架に現わされた、契約的、贖罪的、罪の赦しと、無条件の神様の愛と、

牧師の務めを受ける資格も価値もない、ふさわしくない者に与えてくださる神様の恵みと、

どうしようもなく、行き場のない、八方塞がりの状況の中にあっても、どこまでも、いつまでも、決して見捨てることなく、私とともにいて、寄り添ってくださるインマヌエルの神様のあわれみと、

牧師として任職された者に注いでくださる聖霊の油注ぎと、

そして、いつまでも変わらない、取り消されることのない神様の召命以外には考えられないことです。

ローマ11:29節「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」


ハレルヤ!

 
 
 

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