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3.北海道の神学校での忘れられない神様からの大切な学び、お取り扱い、贈り物(3)

以前に、私が、名古屋のキリスト教書店に勤めていた頃、愛知県民の森で開催された日本リバイバル・クルセードの集会に、主催者である滝元明先生から依頼を受けて、出張販売の仕事で参加していた時、

 

韓国人講師の申賢均(しんけんきん)先生から、聖霊のバプテスマ(聖霊充満)の按手の祈りを受ける恵みに預かったことを証ししました。

 

その時、はっきりと、自分でも、以前の自分と違うことがわかる聖霊様の力に満たされる体験をしました。

 

しかし、霊的高慢であったことや、心の内側に潜んでいる罪、汚れのきよめのお取り扱いがなされていなかったこと、

 

また、聖霊に満たされ続ける秘訣を知らなかったことで、一時的な線香花火のように、また、膨らませた風船が、次第に萎んでいくように、聖霊様の力を失い、元の自分の姿に戻ってしまったことも証しさせていただきました。

 

神学校の男子寮は、2階建てで、1階に2部屋、2階に3部屋ありました。全ての部屋は、8畳でした。そして、8畳一部屋に、二人での共同生活でした。

 

生まれも育ちも、年齢も、学歴、職歴などの経歴も、母教会も、気質、性格も、血液型も、体格も、賜物も、習慣も、趣味も、好き嫌いも、癖も、生活のリズムも全く異なるので、お互いに葛藤とストレスを抱えながらの3年間の寮生活でした。

 

半年毎に、部屋替えをし、また、別の神学生との新たな葛藤とストレスを、神学校の寮生活で、お互いが体験するのです。いびきをかいたり、歯ぎしりしたり、寝言を言ったりする人などもいました。

 

また、男子神学生だけでなく、女子神学生との人間関係における葛藤とストレスもありました。

 

神学校に入ってくる男女の神学生は、私を除いて、みな、さぞかし、キリストの品性に似た、きよめられた人たちばかりなのだろうと思っていましたが、そうではなかったのです。神学生と言えども、利己的性質が残っているからです。

 

エレミヤ17:9~10節には、次のように記されています。「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒やしがたい。だれが、それを知り尽くすことができるだろうか。わたし、主が心を探り、心の奥を試し、それぞれの生き方により、行いの実にしたがって報いる。」

 

以前の訳では、次のように記されています。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行ないの結ぶ実によって報いる。」

 

そのような寮生活と、神学校生活での人間関係における葛藤とストレスを通して、このみことばにあるように、主が、私のねじ曲がっている心、陰険な心、心の奥を試し、心を探り、思いを調べておられることを、お取り扱いされておられることを、はっきりと認識できました。

 

主は、私の心を探り、思いを調べ、「あなたは、高慢だ。あなたは、人をよくさばく。あなたには、愛がない。あなたは、冷たい人間だ。あなたは、他人の噂話を好む者だ。あなたには、偽りがある。あなたには、赦さない心がある。あなたには、自己顕示欲がある。あなたには、霊的見栄がある。」

 

このような様々な、私の心の内にある罪、思いの汚れを、聖霊様が、光を照らして、私の心の内にあるものを照らして見せてくださったのです。

 

しかし、私は、最初、その聖霊様のことばに反抗して、認めようとしなかったのです。「いやいや。私は、そんな人間ではありません。私には、こんないいところもありますよ。私は、あの人よりも、まだ、ましですよ。」と。

 

私は、「邪悪な罪人意識」ではなく、「善良な罪人意識」を持っていたことに気づかされたのです。

 

それは、他人と比較して自分を見ていたからです。今までのクリスチャン生活において、特に、聖なる神様との出会いの体験、聖なる神様の御前に出る臨在体験がなかったからです。

 

私は、ルカ18:11~12節に出てくる、他人や、取税人と比較して自分を見ているパリサイ人が、「神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。

 

私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。」と、心の中で祈ったように、私も、他人と比較して自分を見ている者であったのです。

 

100%完全な聖なる神様との出会いの体験、聖なる神様の御前に出る臨在体験は、ルカ18:13節の取税人と、イザヤ6:1~5節のイザヤが体験したような体験に導かれるのです。

 

ルカ18:13節には、「取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」と、記されてありますように、

 

取税人は、他人や、パリサイ人と比較して自分を見ているのではなく、聖なる神様との出会いの体験、聖なる神様の御前に出る臨在体験に導かれていることによって、聖なる神様が見ておられる自分の内面の姿を見させられて、「神様、罪人の私をあわれんでください。」と、そのように、祈ったのです。

 

また、イザヤ6:1節には、「ウジヤ王が死んだ年に、私(イザヤ)は高く上げられた御座に着いておられる主を見た。」と記されています。

 

2~3節で「セラフィムがその上の方に立っていた。彼らにはそれぞれ六つの翼があり、二つで顔をおおい、二つで両足をおおい、二つで飛んでいて、互いにこう呼び交わしていた。「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満ちる。」

 

その聖なる神様との出会いの体験、聖なる神様の御前に出る臨在体験をしたイザヤは、5節で、「ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、唇の汚れた民の間に住んでいる。しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。」と、言わざるを得なかったのです。

 

私は、自我は、徹底的に高慢で、利己的で、かたくなで、強情で、意地っ張りで、決して、素直に、正直に、自分の素の姿、みじめな姿、裸の姿、恥の姿を認めようとしないこと、聖なる神様の前にへりくだることをしないことを、まざまざと見せつけられたのです。

 

それが、全ての人の内にあるプライドである。

 

私が抵抗し、反発し、反抗している間、苦しくて、苦しくて、とうとう、食事を取ることができなくなってしまったのです。そして、顔にも、声にも、全人的に、生気を感じられなくなってしまったのです。

 

食事当番の方が、心配してくださって、「若木さん、何か、カボチャスープでも作りましょうか。」と、言ってくださったのですが、食べられるどころではありませんでした。

 

この時も、学校長、教師、他の神学生、奉仕教会の牧師や、役員や、教会員、また、母教会の宣教師、役員、教会員などの誰にも、自分の置かれている状況を話すことなく、相談することなく、ただ、聖霊様と一対一で向き合ったのです。

 

全ての神学生たちは、平日に行われる、奉仕教会の祈祷会にも出席していました。私のその時の奉仕教会の祈祷会は、木曜日でしたが、他の男子神学生の奉仕教会の祈祷会は、水曜日でした。

 

そのため、私だけが、水曜日の夜に男子寮で一人になった時、1階の部屋で、聖なる神様の前に出て、祈りの時を持つように導かれたのです。

 

ある期間、聖なる神様に対して反抗、反発、抵抗をしましたが、とうとう、聖なる神様の前に降参したのです。ギブアップしたのです。

 

深い穴に落とされたものの、地上に這い上がろう、這い上がろうと、もがいていましたが、とうとう力が尽きたのです。もう、それ以上の穴の底の下はない、深い穴のどん底に落とされたような感覚でした。

 

そして、聖霊様に導かれて、約2時間にわたる罪の告白、聖なる神様に同意する祈りへと導かれたのです。力のない、弱々しい祈りでしたが、聖霊様が、聖なる神様の前に正直で、真実な祈りを導いてくださったのです。

 

「聖霊様。その通りです。あなたが御覧の通りの私は、高慢な者です。あなたが言われた通り、私は、人をよくさばく者です。あなたが言われた通り、私は、愛のない者です。冷たい人間です。私は、他人の噂話を好む者です。

 

私は、よく偽りを言う者です。私は、人を赦せないみじめな者です。私は、自己顕示欲の強い者です。私は、霊的見栄のある者です。」と、一つ一つ、聖霊様が言われたことばに、同意し、告白し、アーメン(真実であるという意味)したのです。

 

そして、これが、Ⅰヨハネ1:9節「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」の聖書のみことばの体験であったことに、後になって気づかされたのです。

 

「告白する」とは、「言い表わす」ことで、「同意する」という意味です。神様が、私について言われたことと同じこと言う、神様の言われたことばに、自分も同意することなのです。

 

そして、これは、ローマ2:4節の聖書のみことばに、「それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。」と、ありますように、神のいつくしみ深さ、神の慈愛が、私たちを悔い改めに導いてくださるのです。

 

聖なる神様が、私について言われたことを認めようとせず、反抗し、抵抗する、かたくなで、利己的で、強情で、意地っ張りで、高慢な者を、神のいつくしみ深さ、神の慈愛が、聖なる神様への告白、聖なる神様との同意、悔い改めへと導いてくださるのを体験したのです。

 

その祈りをしていた時には、その後、どのようなことが、私の身に起こるのか、全く知る由もありませんでした。

 

二週間位後に、神様の様々な恵みのみわざが、私の身に起こることは、その時点では、全く隠されていて、全く予期していなかったことであったのです。

 

次回に続く。

 

ハレルヤ!

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