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3.私が名古屋のキリスト教書店から、北海道の神学校に入学するまでのプロセス(3)

名古屋のS教会に戻って、「聖書論に関してよく考えて学んで出直してください」と言われたことを、教会の皆さんに正直に報告しました。「また、1年間、お世話になります」と挨拶しました。早速、大家さんにも伝え、引き続き、部屋を借りることができました。仕事は、S教会の役員の一人で、愛知県庁での課長補佐の立場にあったТ兄からのご厚意を受けて、県庁でのアルバイトを紹介していただいたのです。またまた、畑違いの土木工事関係の入札に関する部署と、選挙管理に関する部署の二か所を、半年づつ働かせていただきました。

 

S教会では、私を、1年間、献身者としての準備期間として、引き続き、教会学校での奉仕と、第三代目の青年会長の奉仕をさせていただくようになりました。初代の青年会長は、地元の愛知県出身の信仰の先輩のТ兄でした。いつも、笑顔の絶えない人で、喜びの人でした。快活で、明るく、悩んだり、落ち込んだりする姿を見たことはありませんでした。多血気質の人でした。私がS教会に出席するようになってから1年後に、アメリカの神学校に行かれ、卒業前に、神学校の同期のアメリカ人の姉妹と結婚されて、アメリカの宣教団体から日本への宣教師として、福山にある母教会のS教会とは異なる教団の教会に派遣されて奉仕されました。

 

2年前の2022年の1月に、Т師が、癌であるとの連絡があり、召される前に、電話で交わることができました。「Т先生は、存在そのものが、他の兄弟姉妹たちの励ましとなって、主を証しされていましたよ」と伝えることができました。主からの使命を果たし終えて、2年前の2022年の3月に、71歳で、主の身許に召されました。

 

二代目の青年会長は、同じく地元の愛知県出身の信仰の先輩のF兄でした。Т兄とは性格が異なり、どちらかと言うと、憂鬱気質の人でした。物静かで、聖書のみことばを深く黙想する思索の人でした。そして、聖書のみことばに基づいて、青年会のメンバーを建て上げていました。私も7年間にわたるF兄との交わりを通して、信仰の養育と感化を受けました。

 

ある時、一人の求道者の青年が、自分が罪人であることがわからないと、F兄に伝えると、「では、この一週間、出エジプト記20章にある十戒を、心と思いにおいても、守り行うことができるかどうか試してください。そして、来週、結果を教えてください。」と課題を与えたのです。

 

*十戒とは、出エジプト記20:1~17節に記されていますが、神に対する一から四の戒め四つと、人に対する五から十の戒めの六つから成り立っています。3節の第一戒「あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。」、4節の第二戒「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。」、7節の第三戒「あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。」、8節の第四戒「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」、10節の第五戒「あなたの父と母を敬え。」、13節の第六戒「殺してはならない。」、14節の第七戒「姦淫してはならない。」、15節の第八戒「盗んではならない。」、16節の第九戒「あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。」、17節の第十戒「あなたの隣人の家を欲してはならない。」

 

要約しますと、マタイ22:37~40節「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」これが、重要な第一戒めです。「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という第二の戒めも重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」と、記されている通りです。

 

そして、その求道者の青年は、次の週を迎えて、教会にやって来られました、そして、「私は十戒を守り行うことができませんでしたので、私は罪人です」と、認められたのです。記憶に残っている思い出の一つです。

 

F兄は、やがて、愛知県のミッションスクールの高校教師の道に導かれ、最後は、愛知県のミッションスクールの中高一貫の学校長を、15年勤められ、6年程前の2018年に、退職されました。現在は、母教会のS教会に仕えつつ、愛知県にある退職されたミッションスクール中高一貫の学校の理事をされています。

 

そして、三代目の青年会長の私は、福岡県出身の胆汁気質です。私は、日曜日の教会学校が終わると、大人の礼拝が始まる時間までの30分間、教会員の男女の子どもたちを、近くの広場に連れて行き、野球などをして遊ばせていました。

 

国立の教会で、牧会している時に、二人の役員のご子息の22歳に成長した青年が、名古屋から国立まで、サマーキャンプの手伝いに来てくれたことがありました。一人は、私の恩師で役員のS師のご子息のM君で、もう一人は、役員のM兄のご子息のY君でした。

 

私の後の四代目の青年会長は、沖縄県出身のТ兄でした。彼は、粘液気質でした。彼は、愛の人、平和の人でした。争いを好まず、人に気配りをし、この世の弱い人に寄り添う賜物が与えられていました。感性の豊かな人でした。一度も、彼が言い争う姿を見たことはありませんでした。福祉の大学を卒業後、故郷の沖縄に戻られました。現在は、5人家族全員で、自宅でデイサービスを経営していると、51歳となったM君が教えてくれました。

 

神は、このように、私たち一人一人を含め、全ての人に、それぞれに異なる気質と、能力と賜物と使命を与えられていて、神によって備えられた人々に、また、ふさわしい場所で仕えるように、一人一人を用いてくださるのです。

 

参照:ローマ12:6~8節「私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人であれば惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」

 

Ⅰペテロ4:10~11節「それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。」 

 

1年間の準備期間を終えて、次の年の26歳の時、札幌の神学校まで行かなくても、東京の神学校でも受験できることの知らせを受けて、名古屋から新幹線で東京の神学校まで行って、再度、受験と面接に臨んだのです。北海道の神学校の校長であるS先生が、「よく、1年間忍耐されて、再度、よく来てくれましたね」と、ねぎらいのことばをかけてくれました。

 

筆記試験を終えて、面接の時を迎えました。面接官は、学校長のS先生一人でした。聖書論に関しては、筆記試験で、すでに回答していたこともあり、何も問われることはありませんでした。こうして、北海道の神学校の入学の門戸が開かれたのです。

 

私が神学校に在学中の3年間、その年の入学希望者から、辞退される方も何人かいましたが、次の年に、入学する方は一人もいませんでした。ここにも、私の意志や、努力や、熱意を超えた神のみこころ、私の内に継続的に、持続的に働かれて、志を立てさせ続けられた召命への神のご意思、働きかけがあったことを思います。

 

名古屋のキリスト教書店に勤めていた時に、買い込んだ書籍があったおかげで、書籍代は、私と同期に入学した他の神学生よりかかりませんでした。私が神学校に入学する前に、ある程度必要な書籍を、キリスト教書店で購入させるようにしておられた神様のご配慮に感謝です。

 

ハレルヤ!

 
 
 

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