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3.私が名古屋のキリスト教書店に勤めていた時の懐かしい思い出(3)

日本全国から、キリスト教会の牧師や役員、信徒たちが、「愛知県民の森」の会場に集まって、牧師であり大衆伝道者(リバイバリスト)でもあります滝元明先生をリーダーとする「日本リバイバルクルセード」の集会が、毎年1月に開催されたのです。

 

滝元明先生は、私が属する会社から出版された本の著者でもあることから、著者本も含めて、その集会の他の講師の先生方の本を持って来て、会場で出張販売して欲しいとの依頼を受けたのです。それで、О店長と私の二人で、4日間開催される集会での出張販売に出かけることになったのです。

 

そのキリスト教の全国集会は、非常に熱心な集会の一つであったのです。キリスト教会では、錚々たる主だった牧師たちも参加されていました。スケジュールも、その熱心さが伺えました。一日に4つの集会があったのです。

 

早朝4時頃に、穐近裕先生が、一つ一つの部屋をノックされて、「今から外に出て2時間の祈りをしてください」と、案内して回られたのです。牧師でも役員でもない、ただ、仕事で本の出張販売に来ていたにすぎないО店長と私も参加させられる羽目になったのです。それまで、私は、1時間も祈ることはなかったのです。

 

冬の時期であったので、外は寒くて真っ暗でした。私にとっては、ただただ、つらい2時間の祈りの時であったのです。少しの時間は祈りましたが、長くは祈れませんでした。後は、穐近先生のそば近くに行って、穐近先生の祈りを、ただ聞いていたのです。「主よ。預言者を送ってください。預言者を与えてください」と、大きな声で祈っておられたのを覚えています。「変わった先生だな」と、その時は思いましたが、そのような祈りをする人を、その時も、その後も聞いたことがありませんでしたので、神様から特別に召された先生だったのだなと思っています。

 

早朝の祈りが終わって、午前6時に朝食の時と思いきや、午前6時から第一集会が始まったのです。その時に講壇に立たれたのが、初めて日本に来られた、韓国の大衆伝道者の申賢均(しんけんきん)先生であったのです。

 

講壇に立つや否や、大声で「ハレルヤ(神を賛美します)、ハレルヤ(神を賛美します)、ハレルヤ(神を賛美します)」と、3回、ハレルヤと言われたのです。そして、「なぜ、私が3回、ハレルヤと言ったか知ってる。父なる神様、御子なるイエス様、そして、聖霊なる神様に対して、3回言ったの。そして、私は名前の通り、真剣(申賢)に献金(賢均)しますから」と、気さくで、日本語は流暢で、霊力に満ち溢れ、メッセージは、聖霊様体験と、みことば体験に基づいて、霊的に深くて鋭く分かり易く、尚且つ、話も面白かったのです。その時、私は、非常な霊的ショックを受けたのです。

 

私は、まだ、眠たい気分の中にあるのに、このように、早朝から聖霊様に充満された力強い先生を初めて見たからです。このような聖霊様に火だるまのような先生を見たことも、出会ったこともなかったからです。度肝を抜かれました。一目瞭然、自分の霊性の貧しさ、霊的貧しさがわかった瞬間でした。でも、このことは、感謝なことであったのです。

 

そして、申先生は、ご自分の証しをされたのです。私は、初めからこのような聖霊充満の力強い人ではなかったのだと。牧師になって、日曜日の礼拝が終わった次の月曜日には、毎週のように、三本立ての映画を見に行っていたこと、また、聖霊様体験と、みことばの体験もなしに、学問的に礼拝説教をされていたことなどを正直に話し始められたのです。

 

そのような申先生を見兼ねたお姉様が、良い先生が来られるのでと、リバイバル集会に誘われたそうです。そこで、その大衆伝道者の先生に按手されて祈っていただくことで、今までの罪を悔い改めるように導かれて、泣きながら祈られたことも分かち合われたのです。それから、このように力強くメッセージを語るように恵みを受けられたことを証しされたのです。聖霊のバプテスマ(聖霊の油注ぎ、聖霊の満たし、聖霊充満)を受けられたことから変えられたと証しされたのです。

 

そして、聖霊のバプテスマを受けたいと願う人たちは、今から、私が一人一人の頭の上に手を置いて按手して祈りますので、前に出て並んでくださいと勧められたのです。その集会に出席されていた全員の日本人牧師、役員、信徒の人たちが前に並んで座ったのです。私も、あのような聖霊充満の力強いクリスチャンになりたいと思い、前に出て、按手して祈っていただいたのです。

 

そして、申先生にサインをお願いすると、聖書の裏側に、「聖霊充満 1978.1.26申賢均」と書いてくださったのです。今でも、この聖書は、書棚にあります。このことが、それから5年後の神学校の3年目の1983年5月の時に、聖霊様体験の恵みにあずからせていただいたのです。その5年の間に、自分の心の内面が取り扱われる必要があったのですが、そのことに対して、按手して祈っていただいたその時点では、霊的無知、霊的盲目であったのです。

 

集会を終えて、春日井の自宅に戻ると、早朝5時に起きだして、「日本人を救ってください。この地域にリバイバルを起こしてください」と、祈るようになったのです。そして、J宣教師から、S教会での午後の伝道集会の司会を頼まれたのですが、自分の内に今までにない内側からの神の力に満たされていることが感じられたのです。

 

ところがです。二週間が経過した頃には、段々と、膨らませた風船が、次第に空気が抜けて萎んでいくように、私の内にあった神の力が抜けていくようになり、最後は、今までに言ったこと、行ったことに恥ずかしさを覚えるようになり、穴があったら入りたくなるような気持ちになったのです。

 

それは、私が霊的高慢であったこと、私の内にあった罪汚れのきよめがなされる悔い改めが必要であったこと、そして、どのようにして、聖霊に満たされ続けることができるのかということに関して、霊的無知が原因であったのです。それから、神学校の3年までの約5年の期間を通して、神直接のお取り扱いを受けて悟らされていったのです。

 

キリスト教書店での話に戻りますが、取引先のある教会から、次回来られる時に、委託書籍も含めて、清算をしたいので、今までの請求書を持って来て欲しいとの依頼を受けたのです。それで、私は、事務の方に、「来週までに請求書をお願いします」と、依頼したのです。そして、その教会の清算に行く日を迎えたのです。しかし、事務の方は、「あっ、忘れていました」との返事であったのです。それで、私は「忘れることは、誰にでもありますよ。では、今日、その教会に次週にしていただくようにお願いしますので、次週までに、請求書をお願いします」と、心穏やかに対処して伝えたのです。

 

その次の週を迎え、「請求書をお願いします」と、言うと、「また、忘れていました」との返事であったのです。「では、来週には、お願いしますよ」と、ちょっとムッとする気持ちが生じたのです。

 

三週目を迎え、「請求書はできましたか」と、尋ねると、「忙しくて、できませんでした」との返事であったのです。とうとう、堪忍袋の緒が切れて、頭に来て、目の前にあった空のダンボール箱を蹴ってしまったのです。

 

そして、私は、事務の方に、「あなたは、ここにいて、何もお客様の教会や牧師からは何も苦情を受けることはないけれど、営業の私が直接、苦情を受けるだけでなく、この書店の信用にも影響を及ぼすのですよ。その教会や牧師が、別の系列の他の書店に移っていくこともありうるのですよ」と、正論をぶちまけたのです。

 

そして、事務経験の全くない私は、自宅に帳簿を持ち帰り、自分で帳簿を調べて、数時間費やして、請求書を作成したのです。翌日、О店長は、「若木君の作った請求書をチェックしてください」と、事務の方にお願いすると、1時間も費やさずにチェックできたのです。それで、私は、更に頭に来たのです。

 

聖書のことばであるマタイ18:21節に、ペテロが、「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」と、ペテロは七回までなら赦せるように言いましたが、私は、正確には一回だけでした。マルコ3:17節に「ゼベダイのヤコブと、ヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。」と、ありますように、私は、イエス様の弟子のヤコブとヨハネと同じ「ボアネルゲ(雷の子:気性の激しい短気な者という意味」です。

 

誰にでも、確かに、自分の言い分は正しい、間違ってはいないと思うことがあることでしょう。私たちは、何もないところでは、自分は良い人間だと自惚れることがありますが、何気ない対人関係の中で、自分の中にある自我、罪(自分は正しい、間違ってはいないと自己正当化し、自己弁護し、自己防衛し、自分を義とすること)が出てくる時があります。ちょうど、砂と水を入れたコップを机の上に置いたままですと、砂は下のほうに沈殿したままですが、コップを振ると、途端に、下に沈殿していた砂が舞い上がって来るようにです。

 

私たちの心も、何も問題がない時には、平静でいられますが、何か自分に気に食わないことが起こると、たちまち、自我、罪が舞い上がって来るのです。神は、勿論、相手にも取り扱うことをされますが、自分を義とするところから生じる私たちの怒りや憎しみや赦せない思いの過剰反応をも取り扱われるお方なのです。神は、私たちの内在する自我、罪を露わにし、引き出し、そして、清めるために、更に、聖霊様で満たすために、あえて、私たちの周りに、自分にとって気に障るような人、難しい人を置かれているのです。

 

クリスチャンになって、この自分の内部に潜んでいる自我、罪、自分の醜さ、汚れを見せつけられた最初の出来事であったのです。

 

ただただ、怒りと憎しみとに満ち、赦せない、情けない自分の自我を見せつけられたのです。そして、相手を赦しますと祈りつつ、でも赦したくない、怒りと憎しみの気持ちは収まらなかったのです。この時、自分の感情を処理する術を知らなかったのです。段々と内面の葛藤が激しくなり、夜中に、腹部がチクチク仕出したので、病院に行くと十二指腸潰瘍との診断を受けるまでになったのです。

 

その時、自分の心の感情を押し殺して、「私は、その人を赦します」とだけ祈っていたのです。そのように祈らないと、私は神に罰せられる、さばかれると思っていたからです。間違ったさばきの神観と、怒りと憎しみとに満ち、赦せない自我に、自分がサンドイッチにされて、十二指腸潰瘍になったのです。

 

愛と赦しと恵みとあわれみの神の御前に、自分の抱いている怒りと憎しみと赦せない思いの感情を、また、自分でもどうすることもできない自我、罪を素直に正直に言い表して、吐き出して、イエス様の十字架に受け留めていただくようにすることで良いこと、十字架の死の体験の恵みを、この時はまだ知らなかったのです。更に、ガラテヤ5:22~23節「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」という御霊による品性である復活のいのちの体験の恵みをも知らなかったのです。

 

しかし、これらのことは、聖霊充満に至る前に、神によって通されなければならなかった必然の必須のプロセスであったのです。

 

聖書に次のようなことばがあります。

 

マタイ9:12~13節「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛、いけにえではない。』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」

 

イザヤ53:3~5節「彼(イエス・キリスト)は蔑まれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で、病を知っていた。人が顔を背けるほど蔑まれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」

 

ハレルヤ!

 
 
 

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