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3.私が愛知県の電機会社に勤めていた時の懐かしい思い出(3)

女子寮は一棟で、男子寮は三棟ありました。女子寮はわかりませんが、男子寮は、一室に二段ベッドが四つあり、最大で8人部屋でしたが、私の部屋は、最初は7人部屋でしたが、二年後には、退職者がいたので、4人部屋となりました。

 

一日の寮生活のスケジュールは、午前6時半頃起床、午前7時~8時までの間に社内食堂での朝食、午前8時半から仕事開始、12時から一時間の昼休み、社内食堂での昼食、午後1時~午後5時半まで仕事、午後5時半~7時までの間に社内食堂での夕食でした。しかし、午後8時頃になると、お腹が減って、同室の人たちと、近くにある食堂に出かける時もありました。夕食後は、寮に戻って自由時間、お風呂は午後7時から10時までの間に入浴し、10時からのお風呂掃除は、ローテーションを組んで、部屋ごとに行いました。そして、午後11時に消灯でした。

 

昼食を済ませると、体育館の外にある空き地に、キックボクサーの体型をした当時の私より10歳くらい年上の方が、幾つかのバーベルと、ベンチ、腹筋台、サンドバッグを置いておられて、筋トレをしていたので、私も使わせていただくようにお願いして、筋トレをするようになったのです。私を含めて3人が、毎週、月曜日から金曜日までの昼食後、筋トレをしていました。バーベルを使ったり、サンドバッグも使ったりして、からだを鍛えました。キックボクサーの体型をした方が、腹筋台を壁に立てかけて45度くらいの角度にして、20キロ位のバーベルを両手に持って腹筋をしていたので、私もマネをしてするようになりました。最初の頃は、当然、全く出来ませんでしたが、続けていく内に、何とかできるようになりました。また、ある時、その方が、腹筋台を鉄柵にかけて直角の角度にして、腹筋していたのを見て、私もマネをしてできるまでに筋トレに励んだのです。そのように、からだを鍛えたおかげで、当時、自分の体重の55キロと同じ重量のバーベルを、両手で頭上に持ち上げることができるまでになったのです。からだを鍛える喜びを味わい知った時でした。Ⅰテモテ4:8節に、「肉体の鍛錬も少しは有益ですが・・・」とありますように、少しは有益な肉体の鍛錬の時であったのです。

 

愛知の電機会社に入社したその年に、同期入社で、かつ、寮も同室で、同じ部署で働いていた大卒のKさんと一か月、会社の出向で、岐阜の恵那工場に出かけた時がありました。一か月間の滞在の宿泊先は、工場の近くにある旅館でした。勿論、他のお客様も宿泊されていました。毎朝夕は、旅館で食事をし、昼は、工場で弁当を食べていました。

 

旅館でのある夕食の時、おにぎりの中を開くと、蜂が入っていました。それまでの人生において、おにぎりの中に、蜂が入ったおにぎりを見たことがなかったので、これは、何かの間違いだと思って、女将さんに、「すみません。おにぎりの中に、蜂が入っていましたよ」と、言うと、「それは、蜂の子と言って、こちらの地域では食べるのよ」と、教えてくれたのです。

 

更に、瓶に入った黒い物体がありました。良く見ると、その物の姿をしたイナゴでした。イナゴの佃煮であったのです。蜂の子と、イナゴの佃煮は、今までの人生で、見たことも、食べたこともなかったので、最初は、食べるのに抵抗を覚えました。でも、食べてみると美味しかったのです。また、シシ鍋も、初めてでした。イノシシの肉は、豚肉より少し固めですが、何の違和感、抵抗感もなく美味しく食べれました。

 

ある日曜日、旅館の館主ご夫妻が、一泊の外出をするので、私たちに留守番をして欲しいと頼まれたのです。食事は、冷蔵庫にあるものを、何でも自由に好きなものを食べても結構ですからと言われました。私たちは、もう、お客様扱いではなく、家族の一員のような扱いをされるようになりました。私が、「もし、館主ご夫妻が、外出している間に、他のお客様が来られたらどうしますか」と尋ねると、「お客様は来られませんので大丈夫です」と言われましたが、気が気でなかったのです。でも、館主ご夫妻が言われた通り、誰一人、お客様は来られなかったのです。

 

ある日曜日、旅館の近くにある理髪店に出かけました。「ごめんください」と声をかけました。すると、「はーい」と、奥の方から声はしましたが、店主は出て来ないのです。それで、もう一度、「ごめんください」と声をかけると、奥のほうから、「すみません。娘たちが遊びに来ているものですから、もう少し待ってください」と、返事が聞こえました。店主が出てくるまで、何と、10分ほど待たされたのです。

 

ようやく、私の髪のカットが始まったのです。しばらくすると、店の外で、「おーい。蛇がいるぞ」と、近所の方の声がしました。すると、店主は、子どものように、「どこだ、どこだ」と言って、私の髪をシャンプーしていましたが、途中で中断して、外に出て行って、蛇を見に行ったのです。

 

都会生活では、旅館でのことと、理髪店でのことは、どちらもありえない考えられない、非常識な体験でした。しかし、この地域では、これが、常識で、日常茶飯事なことであったのです。

 

このような地域に住むには、二つの選択肢があると思います。何としてでも、彼らに都会生活の常識と様式を教え込み、その地域の人々の常識と生活様式と、その地域の人々を変えようとする選択をするか、それとも、その地域の人々の常識と生活様式を理解し、慣れ親しみ、その地域の人々を受け入れるかという選択である。わずか、一カ月間の会社の出向の旅館での生活でしたが、後者を選択して過ごしたのです。

 

聖書には、次のようなみことばがあります。

 

Ⅰコリント9:19~23節「私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちにはー私自身は律法の下にはいませんがー律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。律法を持たない人たちにはー私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですがー律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。弱い人たちには、弱い者になりました。弱い人たちを獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。何とかして、何人かでも救うためです。私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」

 

ハレルヤ!

 
 
 

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