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3.船舶生活での懐かしい思い出(3)ー5歳頃に初めて母の実家に行ったエピソードー

5歳頃のことですが、母と一緒に、汽車と船を利用して、母の実家である熊本県天草郡御所浦町牧島に行った記憶があります。タライの中に入れられた裸のおじいさんが、一人のおじさんに、水で濡らしたタオルで体を洗われていたこと、そして、近くにいるおばさんたちが泣いていた光景を記憶しています。また、私と、もう一人の男の子が、水で濡らしたタオルで体を洗われているおじいさんのそばを走り回っていたことを、体を洗っているおじさんに叱られたことも記憶に残っています。


 


しかし、その当時の5歳頃の私には、何の目的のために、母と一緒に、母の実家に行ったのか。そのタライの中に入れられた裸のおじいさんは、誰だったのか。おじいさんの体を水で濡らしたタオルで洗っていたおじさんは誰なのか。そばで泣いているおばさんたちは誰なのか。体を洗っているおじさんに叱られたもう一人の男の子は誰なのか一切わからなかったのです。というのは、幼い時に、母の実家に初めて行ったという記憶からです。


 


このことを、聖霊様との交わりを通して、「私は、その時、何の目的のために、母と一緒に母の実家に行ったのですか。あのタライの中に入れられて、水で濡らしたタオルで体を洗われていたおじいさんは誰だったのですか。おじいさんの体を水で濡らしたタオルで洗っていたおじさんは誰だったのですか。そのそば近くで、泣いていたおばさんたちは、誰だったのですか、私と一緒におじさんに叱られた男の子は誰だったのですか」と、お聞きしながら、思い巡らし、黙想して見たのです。


 


そうすると、私が母と一緒に、母の実家に行ったことの目的は、葬儀のためであったことに気づかされたのです。タライの中で水で濡らしたタオルで体を洗われているおじいさんは、すでに召されていた母のお父さんである私の祖父であったこと、おじいさんの体を洗っていたのは、おじいさんの子どもの一人であったこと、そばで泣いていたおばさんたちは、母の親族の人たち、私と一緒におじさんに叱られた男の子は、私のいとこの「江平(えひら)きよとし君」であったことなどが、今現在の自分に気づきが与えられたのです。


 


当時の熊本の田舎では、遺体を大きな丸型の木の箱の中に入れて土葬にしていました。仏式で、土葬前に、水で濡らしたタオルで体を洗い、きよめの儀式をしていたものと考えられます。その当時の5歳頃の私には、死んでいるおじいさんではなく、生きているおじいさんが、タライの中で、水で濡らしたタオルで体を洗われていたものだと思っていたのです。


 


そのように、幼児期の見聞きした記憶の解釈は、トンチンカンなこともあることに気づかされます。弟子たちも、イエス様の語られたことばや教えを全く理解できず、トンチンカンな解釈をしている姿を、四福音書に見ることができます。しかし、使徒の働きに出てくる弟子たちは、イエス様の語られたことばや教えを思い起こし、はっきりと正しく理解し、悟っている姿を見ることができます。それは、聖霊様によって、イエス様の語られたことばや教えが思い起こされ、霊の心と目と耳がはっきりと開かれて、真理を知り、悟るようにされたからです。


 


イエス様が復活された後に、弟子たちに起こったことの変化、弟子たちの霊の心と目と耳が開かれて、真理を知り、悟るようになったことを証ししているその証拠となる聖書の箇所が、幾つかあります。


 


 一つ目は、ヨハネ2:19~22節 イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。とある通りです。


 


霊の心と目と耳が閉ざされている時は、弟子たちも、ユダヤ人と同じように、イエス様が、「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」と言われた時は、建てるのに四十六年かかったエルサレムの神殿のことだと思っていたのです。しかし、イエス様がよみがえられたとき、霊の心と目と耳が開かれて、イエス様のからだのよみがりのことを言っていたのだと理解したのです。


 


二つ目は、ヨハネ12:12~16節 その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、こう叫んだ。「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。次のように書かれているとおりである。「恐れるな、娘シオン。見よ、あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスについて書かれていたことで、それを人々がイエスに行ったのだと、彼らは思い起こした。とある通りです。


 


三つ目は、使徒11:15~16節 そこで、私が話し始めると、聖霊が初めに私たちの上に下ったのと同じように、彼らの上に下ったのです。私は主が、『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは聖霊によるバプテスマを授けられる』(使徒1:5節)と言われたことばを思い起こしました。とある通りです。


 


これらのイエス様が語られたことばや教えである聖書のみことばを思い起こさせ、真理を知り、悟るように導かれるのは、聖霊様の働きであり、恵みなのです。


 


ヨハネ14:26節「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」


 


ヨハネ16:13節「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。」


 


イエス様のことば、聖書のみことばを思い起こさせ、霊の心と目と耳を開いてくださり、真理を知るように、悟るように導いてくださる聖霊様に。


 


ハレルヤ!

 
 
 

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