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8.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(8)

funaborigracechape

今回からは、神様が、私と結び合わせてくださった助け手としての妻である由起子さんを通しての神様からのお取り扱いと恵みを分かち合いたいと思います。


私は、牧師としての職務に召されてはいるものの、主から遣わされた最初の小樽の教会での牧会の時からそうであったが、主にあって、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを、


人に伝えることが大の苦手で、全く出来ていませんでした。見て見ぬふりをすることを長い期間ずっとしてきたのです。今では、「それは、牧会においては、致命傷の一つであるとも言える」とさえ思わされるようになってきたのです。


過去の自分を振り返って見ると、その人の言い分だけを一方的に聞くだけで、また、聞かされだけで、その人の言いなりになって、その人に支配されて、


緊張して、萎縮していた自分を思い出すことができます。特に、強くはっきりものを言うタイプの人に対しては、特にそうでした。


過去における小樽の教会での牧会の時から、現在における船堀での教会に遣わされての牧会でも、私の助け手として与えられた由起子さんから、「あなた、あの人に対して、また、あの人のあの行いに対して、はっきりと言ってあげたほうが良いわよ」と、


今になって思うに、それは、神様が、由起子さんを通して、その人を建て上げるため、生かすため、成長のためにという目的のために語っていた私への助言であったのですが、


私は何度も何度も、その助言を、耳にたこができるほどまでに聞かされてはきましたが、それは、ただ、由起子さんからの助言としてしか捉えることができず、耳を傾けることはして来なかったのです。


その時々の私の反応と態度は、ことばにこそ口からは出してはいませんでしたが、高慢にも「神学校を出ていないあなたに何が分かるものか」と、心の中でさばいていたのです。そして、その助言を無視し、拒絶していたのです。


また、自分の心の思いの中に、「もし私が、その人に言いづらいことをはっきりと語って、その人が傷ついたらどうしよう。そして、その人が教会に来なくなったらどうしよう。


また、その人から激しく言い返されて、口撃されたらどうしよう」という人への恐れを抱いていたのです。


更に、自分の中にこのような間違った先入観、固定観念を抱いていたのです。それは、「もし、神様が必要と思われるなら、直接、その人に気づかされるのであって、私を通してではない」と。


そのようなわけで、そのことに関して、私は、霊的識別力の欠如と、霊的無知と、人への恐れの故に、頑なに拒んでいたことに、まだ、その時点では気づいてはいなかったのである。


私は、その助言を、由起子さん自身から出たことばだと思っていて聞いていたのです。神様が、由起子さんを通して、私に語られていることばだとしては聞いておらず、そのことを理解できず、霊の耳と目が閉ざされていたのです。


そのようなことが継続されていく中で、ある時、「あなた、あの人に対して、また、あの人のあの行いを放置したままであったなら、このようになるわよ」と、


預言的に言われたこともありましたが、それでも、聞く耳を持たないままにしていると、由起子さんの言った通り、まさしく、そのようなことになっていったのです。


このことに関して、小樽の教会の牧会の時から、船堀の教会の牧会の時に至るまでの何と約20年の長い年月にわたって、聞く耳を持たず、霊の耳と目が閉ざされていたのです。勿論、今でも、他のことに関しても、そのような時が多くあるのではありますが。


そして、ようやく、船堀の教会での牧会の途中から、主にあって、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを、それは、その人を建て上げるため、成長を促すことを目的としていることを認識して、主にあって、語れるようになってきたのです。


そのように至るまでの経緯について分かち合いたいと思います。


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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