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8.北海道の神学校での忘れられない神様からの大切な学び、お取り扱い、贈り物(8)

神学校での最終学年の三年になりますと、「普段の授業」とともに、「卒業論文の取り組み」、そして、卒業前の二か月間、「神学校卒業後の進路」のことなどがあり、忙しい時期を迎えます。


前回、証ししましたように、「聖なる神様の御前で、私の霊、心に深い罪の示し」から始まって、「愛なる神様の御前で、神様の愛で愛される天国の体験」、「聖霊の満たしを、感情ではなく、信仰に拠り所を置くこと」、


「聖霊に満たされ続けるためには、聖霊様のご人格と、聖書のみことばによる黙想の日々の継続」に至るまでの一連の体験から、卒業論文のテーマは、「聖霊の満たし」に導かれました。


忙しい時期に、卒業論文を書き上げたものだと思います。卒業論文に取り組む全ての神学生が、そのように思っているのではないかと推察しています。


いや、自分ではなく、聖霊様が、主導権を持たれて、私という個人の人格、個性、性質、能力を生かし、用いられて、書き上げさせてくださったものだと思っているのです。


そして、卒業論文の提出期限が、卒業時期の三月と重なる中で、卒業後の進路も決めていく必要があるのです。


神学校を卒業した神学生が、みな、牧師や、宣教師や、伝道師になるわけではありません。教会の一信徒として、仕えることを選択する神学生もいるのです。


私と同期のM兄は、北海道の石狩市にある、ある教団で牧師をしています。そのM兄の奥様は、同期で学んだM姉妹です。


もう一人のW姉妹は、札幌にある、ある教団の教会の教育主事の働きをしています。さらに、もう一人の別のM姉妹は、母教会に戻られて、一信徒として奉仕をしています。


私も、卒業時期を迎え、真剣に、卒業後の進路、牧師として働く奉仕先の教会のことを考えなければならなくなりました。


私は、当初、自分の中では、北海道の教会で働く思いはありませんでした。愛知県の母教会のS教会での働きを願っていました。


その理由は、愛知県には、私の姉家族が在住していることもあり、また、北九州市の実家にも、新幹線で、当時、4時間近くで行けましたので、家族伝道のことも考えて、そのように願っていたのです。


しかし、そういう状況の中で、何一つ、進路先の奉仕教会の話が全く無かったのです。


そのような時に、聖霊様が、「あなたは、愛知県の母教会での奉仕先を、しっかり、握っているので、わたしは、あなたを派遣すべき奉仕先の教会を示すことができない。それを手離しなさい。わたしに、明け渡しなさい。」と、私の霊、心に語られたのです。


そして、自分が、愛知県の母教会を奉仕先として、しっかりと掴んで、握っていることが、聖霊様の示しの妨げ、障害、妨害、邪魔物となっていることがはっきりとわからされて、手離し、聖霊様に明け渡したのです。


「聖霊様、自分が、愛知県の母教会を奉仕先として、しっかりと掴んで、握っていたことが、聖霊様の示しの妨げ、障害、妨害、邪魔物となっていることが、よくわかりました。


今、手離します。聖霊様に明け渡します。聖霊様が、私が派遣されるべき、仕えるべき奉仕先の教会を示してください。導いてください。」と祈ったのです。


すると、早速、「あなたに、北海道にある二つの教会から、招聘の連絡がありました。」と、神学校のТ学院長(三年の時に、学院長がS師の健康状態の理由で、Т師に交代された)から聞かされたのです。


その内の一つの教会は、私が三年の時に、奉仕教会として仕えていた教会でした。そこは、ОMFの宣教師ご夫妻が、牧会していた教会でした。


もう一つの教会は、ОMFの女性宣教師が、牧会していた教会でした。その女性宣教師は、賛美の賜物が与えられていて、ピアノの奏楽に霊の感動があり、オリジナルの賛美を作っていた先生でした。聖霊様に開かれていた先生でした。


この二つの教会のどちらかであれば、女性宣教師が牧会する教会に決めていたと思います。


今、思うと、教会のかしらである主イエス・キリスト様と、教会に失礼な話ですが、そちらの教会の方が、私の好む教会、行きたい教会だったからです。


ところがです。


次回に続く


ハレルヤ!


 
 
 

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