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8.船舶生活での懐かしい思い出(8)ー小五の時の家庭訪問のエピソードー

私が小一から小四までの間、北九州市にある平原(ひらばる)小学校「現在は、皿倉(さらくら)小学校に校名変更」のそれぞれの担任の教師は、船舶生活者の私のところには、家庭訪問に一切来ることはありませんでした。


 


というのは、私より以前に、兄や姉たちを含め、北九州市八幡区水上町(船舶生活者の住所)から来ていた生徒たちがいたので、教師たちは、事情をよく知っていたからだと思います。


 


ところが、小五の時、他校から新しく転任して来られた担任の女性教師が、船舶生活者の私のところにも「家庭訪問に行きます」と言われたのです。


 


八幡製鉄所には、東西南北にそれぞれ門がありました。それぞれの門から門までの距離は、桁外れに遠く、徒歩だと、1時間以上から3時間以上離れているので、バスや、路面電車を利用する労働者たちもいるほどでした。そして、それぞれの門には、守衛がいました。




小学校に通学する時には、南門を出入りし、中学校「校名は、現在も変わらず、尾倉(おぐら)中学校」の時には、西門を出入りしていました。そちらの門の方が、それらの学校に、より近かったからです。


 


そのようなわけで、小学生の私のところに家庭訪問に来るには、教師も、八幡製鉄所の南門を通過しなければなりませんでした。学校から南門まで、徒歩30分、南門から、私の船舶のところまで、徒歩30分の片道1時間ほどの距離でした。ところが、八幡製鉄所内にある東西南北の門を通過する時には、構内での労働者も含め、船舶従事者、及び、船舶生活者の大人も子供も一人一人、それぞれの門を出入りする際には、守衛に、「門艦(もんかん)」(通過許可証)を提示する必要があったのです。車の免許証のように更新手続きは一切不要で、一度取得すれば、構内での労働者、また、船舶従事者、及び、船舶生活者でいる限り、ずっと使用できました。


 


私は、そういうわけで、「門艦」がないと、南門を通過できないことを、その教師に伝えたように思いますが、教師は、「大丈夫、大丈夫」と言いつつ、学校から30分かけて、南門までやってきました。教師が、守衛に、私の担任の教師であることと、家庭訪問の目的のために来ていることを伝えましたが、守衛は、担任の教師に、南門の通過の許可を与えませんでした。


 


この出来事を通して、この世における確かな身分、地位、立場、そして、例え、正当な理由があったとしても、通過が許可されない門があることを知りました。そして、そのことが、聖書のみことばに結び付けられて思い起こされ、天国の門のことを思い巡らすように導かれたのです。ヨハネ10:10節「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。」この聖書のみことばから、天国の門は、イエス様であると言っています。そして、天国の門にも、御使いという守衛がいます。天国の門に入るためには、御使いという守衛に、天国の門に入る「霊的門艦」を提示する必要があるのではないかと思わされたのです。


 


そして、どうして、小学生の子どもの私が、八幡製鉄所の南門や他の門にも出入りすることができたのだろうかと、御霊とみことばによって、思い巡らし、黙想してみました。私が、「門艦」を取得できたのは、講習を受けて、その後、テストを受けて合格したからではありませんでした。また、お金を払って購入したものでもありませんでした。無代価でした。私の行いや能力、金銭によることでは一切なかったのです。ただ、私が、船舶従事者の両親のもとで生まれたという、ただ、それだけのことで、「門艦」を取得できたのです。


 


同じように、天国の門に入る資格は、ただ、「神によって生まれた人」であるかどうかという、その一点だけであるのです。ヨハネ1:12~13節に、「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなくただ、神によって生まれたのである。」とある通りです。


 


そして、イエス・キリストを受け入れたその人、救い主イエス様を信じたその人が「神によって生まれた人」であり、「神の子どもとして生まれた人」であるのです。そして、その人に、神が天国の入口の門の通過許可証の「霊的門艦」を授けてくださるのです。そして、その「霊的門艦」とは、「神によって生まれた人」、「神の子どもとして生まれた人」の心の内に内住される聖霊であるのです。エペソ1:13~14節に、「このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。」とある通りです。


 


自分の行い、能力、金銭によって入るのではなく、ただ、私の罪のために、イエス様が十字架につけられて死なれ、墓に葬られ、三日目によみがえられたことを信じる信仰によって、「神によって生まれた人」に、「神の子どもとして生まれた人」に、天国に入る保証としての「約束の聖霊」という「霊的門艦」が、神からの無代価の恵みとして与えられ、天国の門に入らせていただけるのです。


 


「神によって生まれた神の子ども」に、天国の門の通過許可証である「約束の聖霊」という「霊的門艦」を与えてくださって、天国の門に入らせてくださる三位一体の神様に。


 


ハレルヤ!

 
 
 

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