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9.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(9)

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前回からの続き


そして、ようやく、船堀の教会での牧会の途中から、主にあって、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを、それは、その人を建て上げるため、成長を促すことを目的としていることを認識して、主にあって、語れるようになってきたのです。


そのように至るまでの経緯について分かち合いたいと思います。


そのことに関して、イエス様と向き合い、黙想するように導かれる中で、「あなたは、信徒の人たちから、若木先生は、自分たちに対して、また、何事でも自分たちの好きなように自由に勝手にさせてくれて、何も言わず、何一つ注意することなく、何も批判することもなく、何も非難することなく、


若木先生は愛があって、優しくて良い先生だよねと、そのように言われること、見られることを求めている。あなたは、わたしからの栄誉、称賛ではなく、人からの栄誉、称賛を求めている」と、イエス様から指摘されたのです。それは、図星でした。


ヨハネ12:43節に、「彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。」と、ある通りです。


私は、信徒の人たちから「若木先生は愛のある先生、優しくて良い先生だよね」と、そのように言われたいがために、そのように見られたいがために、


そのようなことを言われること、そのように見られることを求めていたがために、もし、私が、信徒の人たちに対して、言いづらいこと、話しづらいこと、語りづらいことを語れば、


愛のある先生、優しくて良い先生という肉なる自分の描いた自己の理想のイメージが崩れるので、そのようなことをしてこなかったのだ、いや、そのようなことができなかったのだと、自分の内側にある、潜在意識にある心の内面のメカニズムに気づかされたのです。


イエス様は、更に、私に対して、「あなたは強い愛のない人だ。もし、人が、崖に気づかずに、崖の方に向かって走っているとするなら、


『危ない。そっちは崖だ。走って行ってはいけない。落ちて死んでしまうぞ。向きを変えて、こっちに来なさい』と、叫んで教えるでしょう。


わたしが、あなたに、わたしの視点で、その人の内面の姿を見させているのは、わたしは、あなたを通して、そのことを、その人に伝え、語り、教え、告げ知らせて、


その人を助けるため、救うため、生かすため、成長させるためなのだ。その人は、わたしがあなたを通して語られているということに気づかずに、何もわからずに、理解できずに、あなたを非難するかも知れないが、そのことさえも受容して、わたしは、あなたに強い愛の人になって欲しいのだ」と語ってくださったのです。


イザヤ9:6節に、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、•••』」とありますが、


「不思議な助言者」が、NIVの聖書訳では、「Wonderful Counselor」と訳されています。まさに、イエス様こそ、私たちの霊の耳と目が閉ざされて、


自分たちが気づかないでいる潜在意識にある心の内面のメカニズムを読み取られ、私たちに、そのことに気づきを与え、


そして、悔い改めに導き、生かし、建て上げて、成長させてくださる不思議な、驚嘆すべき、素晴らしい助言者、忠告者、指導者、相談相手、カウンセラーなのです。


勿論、イエス様が、直接、その人に語られること、教えられること、気づかさせることもありますが、それが全てではないこと、ある時には、イエス様は、私(人)を通して、


その人に語られ、教えられ、気づかさせるお方でもあることを知らされたのです。そのために、私は、主にあって、主の視点で、様々な人の内面の姿を見させられているのだと気づかされたのです。


エペソ4:15節に、「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」とあるように、


その人への愛だけで、その人に真理を語ることをしないこと、また、同時に、その人に真理を語るだけで、その人への愛のないこと、この両極端ではなく、主にあって、その人への愛をもって真理を語ることを聖書は教えているのです。


その目的は、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するためであると、聖書は教えているのです。


そして、ある程度の信頼関係がある信徒の方々に対して、そのことを実践し始めると、私が思っていた通り、予測していた通りのことが次々と起こったのです。


次回に続く


ハレルヤ!

 
 
 

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