top of page

9.北海道の神学校での忘れられない神様からの大切な学び、お取り扱い、贈り物(9)

前回の最後の文章から再開します。

 

その内の一つの教会は、私が三年の時に、奉仕教会として仕えていた教会でした。そこは、ОMFの宣教師ご夫妻が、牧会していた教会でした。

 

もう一つの教会は、ОMFの女性宣教師が、牧会していた教会でした。その女性宣教師は、賛美の賜物が与えられていて、ピアノの奏楽に霊の感動があり、オリジナルの賛美を作っていた先生でした。聖霊様に開かれていた先生でした。

 

この二つの教会のどちらかであれば、女性宣教師が牧会する教会に決めていたと思います。

 

今、思うと、教会のかしらである主イエス・キリスト様と、教会に失礼な話ですが、そちらの教会の方が、私の好む教会、行きたい教会だったからです。

 

ところがです。

 

神学校のТ学院長から、「北海道の別の教会に、あなたのことを推薦しているので、その教会に、日曜日の礼拝メッセージの奉仕に出かけてください。

 

昼食後、あなたを招聘するかどうかの教会員との交わりの時、懇談の時、質疑応答の時を持ちますので、準備してください。」と、急に、突然に告げられたのです。

 

三つ目の教会の話が導かれたのです。

 

そして、Т学院長の言われるまま、その教会で、日曜日の礼拝メッセージの奉仕をし、午後に、昼食をしつつ、教会員との交わり、懇談の時、質疑応答の時を持ったのです。

 

二週間後、Т学院長から、その教会の教会員全員一致で、あなたを招聘したいとの申し出があったことを聞かされたのです。

 

それまで、その教会は、ОMFの宣教師たちが牧会してきた教会でしたが、日本人牧師として、私が初めての牧師として招聘されたのです。

 

これら一連の動きの中に、聖霊様の導きがあったことを覚えるのです。聖霊様のことばによる語りかけがあり、自分主導から、聖霊様主導に、明け渡し、委ね、お任せしていたからです。

 

自分が好む教会か、そうでない教会か、自分が行きたい教会か、そうでない教会かという、自分の肉で、自我によって決定することを止め、放棄し、

 

聖霊様のご人格、ご意思によって、派遣されるべき教会、仕えるべき教会を決めていただく、決定していただくことを選択したからです。

 

最後に、「ジョージ・ミューラーの祈りの秘訣」(いのちのことば社出版)の書籍から、「神様のみこころを確かめる方法」を参考に紹介したいと思います。

 

1.みこころを求める時、私はまず自分の心が全く意思を持たないような状態(白紙状態・ニュートラル・ギア)になることを求める。

 

多くの人にとって、トラブルの十分の九はまさにここにある。

 

主のみこころがどこにあれ、私たちの心がそれに従う備えをするなら、困難の十の九は克服されているのである。

 

このような状態にあるなら、主のみこころが何であるかを知る一歩手前にいるのである。

 

2.この後、私はその結果を感情、あるいは、ぼんやりした考えに委ねない。もしそうするなら、大きな思い違いをすることになりやすいのである。

 

3.神のみことばである聖書を通して、あるいは、みことばと関連して、御霊の御思いを求める。御霊とみことばに結びつけられなければならない。

 

もし、みことばなしに御霊のみを見るなら、大きな間違いを犯すことになる。聖霊は聖書に従って導くのであって、決して聖書に反してなさることはない。

 

4.次に、私は神の導かれる出来事を考慮に入れる。それは、みことばと御霊との関連において、神のみこころをはっきりと指し示していることがしばしばある。

 

5.祈りの内に、神にご自身のみこころを正しく示していただくことを求める。

 

6.このように神への祈り、みことばの学び、黙想を通して、自分の能力を、知識を最大限に用いて、慎重な判断に到達する。

 

そして、もし心が平安であり、さらに、二、三度嘆願して後もそれが続くなら、その判断に従って行動する。

 

ささいな事柄においても、重要な事柄においても、私はこの方法が常に有効であることを知らされているのである。

 

以上。

 

ハレルヤ!

 
 
 

最新記事

すべて表示
54.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(54)

今回も、N葬儀社に関わることですが、ある教会のご遺族のお父様の葬儀での火葬と収骨に携わった時のことです。 それは、N葬儀社の現場担当者の方が、その葬儀中に、別の教会での葬儀が発生して、その葬儀の担当をしなければならない状況になりましたので、私が代わって、火葬と収骨に携わる必要が生じたのです。 ご遺族の娘さんから、「火葬前に、もう一度、棺の蓋を開けていただいて、お父さんとの最後のお別れは出来ますか」

 
 
 
53.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(53)

前回からの続き 前々回の50番目の証しにおいて、異端の方の葬儀の司式を行うことに関して、私の最初の反応の正直な思い「それは、出来ないでしょう。それは、まずいでしょう。それは、無理でしょう。 未信者の方ならまだしも、異端の方なのだから」という気持ちをお伝えし、最初は、断ろうかと思っていましたが、私の思いの中に働かれる聖霊様と、聖霊様の語りかけを聞かされたこと、聖霊様の導きの中での葬儀の司式であったこ

 
 
 
52.主から遣わされた四番目の東京の江戸川区にある船堀の教会での懐かしい思い出(52)

前回からの続き このような異端の方の葬儀の司式を行ったのは、私のこれまでの人生において、ただ、この一回だけで、N葬儀社に確認をしましたが、それ以前も、以後も、異端の方の葬儀の依頼はないとのことです。 不思議なことに、そのご遺族とは無関係の方ではありますが、私は、20年ほど前に、新潟の教会で奉仕をすることをきっかけに、異端から救われたS姉との関わりを持つように導かれていましたが、 このS姉は、生ける

 
 
 

コメント


©2022 by 船堀グレースチャペル。Wix.com で作成されました。

bottom of page